ミクロ経済学は理念型(idealtypes)です。話の辻褄が合うように作られた、どこにもない世界の話です。経済学的に大事だと思う要素だけを理念形に残し、あとは切り捨てているから、はっきりした結論が出ます。実際の世界で、そのようなはっきりした結論が得られないのは、実際の世界ではもっといろいろなものが人間の手足にくっついて、縛ったり抑えたりするからです。そして、これも大きいのですが、人間はもっといろいろなことを大事だと考えているからです。
ある外国為替の決定モデルで、合理的に市場を均衡させる為替レートを求めるためには微分方程式をひとつ解かなければならない、という結論が提示されたことがあります。時々刻々市場の状況は変わっているわけですから、そのモデルに従う合理的な市場参加者は、何度も何度も微分方程式を瞬時に解いていることになります。
経済学っぽい、合理的な行動を煎じ詰めると、機会費用を常に意識し、それをゼロにする行動だと言えます。それは簡単に言うと
「出来ることの中で、一番得なこと(一版損の少ないこと)をする」
ということです。しかしそのためには、自分に出来ることが全部分かっていなければならないし、何をすると何が起こるか、結果の予想が完全についていなければなりません。要するに、ありえないほど物知りで頭のいい人でないと、合理的行動なんか出来ないということなのです。
しかし考えてみると、「頭のいい行動」とはどんな行動か、説明するのは難しいですね。ハーバート・サイモンは、人間は合理的な判断をやりぬくことはできないし、実際やってもいないという意味で「限定された合理性」というキーワードを使いました。そのあとサイモン自身は、特定の(限定された)合理性を持つ人工知能の研究に向かっていきます。人間の持つ限定された合理性をより深く説明することは、なかなか進みませんでした。
フランク・ナイトは、確率的に予測できる不確実性と予測できない不確実性を分け、前者に不確実性(uncertainty)、後者にリスクと名づけました。世の中の大もうけや大損は、リスクによるものですよね。成功するとみんなが思っていてもコケる事業があり、その逆もあります。