経済学(基本科目) ミクロ経済学 講義ノート

市場のメカニズム

ミクロ経済学の「基本」モデル

 ミクロ経済学は、ある仮想的な世界をイメージして、その世界で起こりそうなことを理詰めで考えていきます。

 この世界は現実そのものではありません。そのかわり、現実を理屈どおりに進まなくさせる、過去の事情や非経済的な関係(身分制度、知り合いへのひいきなど)がありませんから、現実よりも「わかりやすい」世界です。

「財」と「サービス」

 簡単に言うと、価格がついて取引されるものの中で、「かたちのあるもの」を、「かたちのないもの」をサービスと呼びます。環境のように「価格がついていなくても、誰かがそのためにお金を払うつもりがある」ものも「財」に含めることがあります。

 例えば大学は教育サービスを生産して売っています。携帯電話会社は電話サービスやWeb閲覧サービスを生産して売っています。

零細多数の売り手と買い手

 りんごにはりんごの売り手と買い手、みかんにはみかんの売り手と買い手がいます。最初の売り手は農家、最後の買い手は家計(消費者)であったり、りんごを別のものの材料として欲しがる企業(例えば、りんごジュースメーカー)だったりします。ここではシンプルに、家計だけが最後の買い手だと仮定しましょう。

 たいていの財は、最初の売り手と最後の買い手の間に、誰かがはさまります。卸とか、小売店とか。その人たちは、最後の買い手がいくらならどれだけ買ってくれるか考えながら、りんごやみかんを買います。そしてその人たちは、品物を運んだり、きれいで快適な店の中に並べて買い手を待ったりするサービスをりんごやみかんにくっつけて売っていると考えられます。だからここでもシンプルに、その人たちを無視して、最初の売り手と最後の買い手がりんごやみかんを直接取引していると仮定しましょう。この仮定を、「取引費用がゼロだという仮定」と表現することもあります。

 売り手と買い手は、それぞれたくさんいて、ひとりひとりの取引に占める比率(シェア)は小さいと仮定します。これを「売り手も買い手も零細多数だという仮定」と表現します。

 シェアの大きい売り手がいたら、その人が決めた売値をほとんどの人が受け入れるしかないでしょう。たくさんの売り手がすこしずつ財を持っているなら、他の人より高く売ろうとしても誰も買わず、安く売ればすぐに売り切れてしまうでしょう。だから安定した状態では、どの売り手も同じ価格で財を売っているはずです。このことを「一物一価の法則」といいます。

効用最大化と予算制約

 なるべく言葉遣いをシンプルにするために、「家計」「企業」という2種類の市場参加者だけを考えることにします。家計は財やサービスを買い、企業は(作って)売ります。逆に、財やサービスを作るために、企業は家計から労働を買ったり資本を借りたりして、賃金や利子を払います。賃金は労働サービスの価格、利子は資本を預けて使わせる資本サービスの価格だと思えばいいでしょう。

 家計は、自分の持っている予算を使って、なるべく満足するように財やサービスを買おうとします。例えばりんごとみかんに予算を使うとしたら、

りんごの価格×りんごの購入量+みかんの価格×みかんの購入量=予算

 を満たしながら、りんごとみかんから得る満足が一番大きくなるようにふたつの購入量を決めます。上の式を予算制約(式)といいます。

 家計の満足を数字にしたものを効用と呼びます。家計は予算制約の下で、効用最大化をします。

利潤最大化と生産量決定、参入と退出

 皆さんも学園祭の模擬店などで、「ものを作って売る」経験があると思います。作ったものを売って得た収入と、材料代や従業員の賃金といった費用の差を利潤と言います。

利潤=収入−費用=生産量×価格=費用

 実際の企業は社会的信用とか従業員の幸福とかいろいろなことを考えますが、ここでもシンプルに、企業は利潤のことだけ考え、利潤最大化を行うと仮定しましょう。

「一物一価の法則」としてさっき簡単に書いたように、他の売り手がみんな100円をつけているとき、同じものを105円で売ってもお客は逃げますし、95円で売ったらすぐに売り切れてしまいます。自分の作るものが全体の取引量に対してわずかならば、他の人と同じ100円で自分の作ったものは売れるはずです。だから企業にとって価格は動かせないものです。費用はもちろん、その生産量を実現するための最小限に抑えるとします。そうだとすると、企業が変えられるものは生産量だけです。

 どう生産量を決めても赤字だ、ということもあるでしょう。そんなとき企業はその市場から退出して、その従業員や設備は他で使われます。逆に、利潤率が高ければ他から人や資本が集まってきて、その市場に新たな企業が参入します。

(部分)均衡価格の決定

 家計と企業の両方が、例えばりんごの価格が1個100円のとき、自分の需要量(購入量)と供給量(販売量)を決めることが出来ます。たくさんの家計や企業について、それぞれを合計すれば、市場全体での需要量と供給量を求められます。

 需要量と供給量が一致しなければ、一致するように値上がりしたり、値下がりしたりするでしょう。例えば人気のないゲームソフトは中古市場でだぶつき、どんどん値下がりします。逆に人気ソフトの中古品は、新品の定価とほとんど同じ価格で売られていますし、新品ソフトもあまり値引き販売されません。

 需要量と供給量が一致する価格を、均衡価格と言います。

労働の供給と需要

 先ほど、家計の予算は決まった額だと考えました。実際には皆さんは、欲しいものがあるときは余計に働いてもいいと思うでしょうし、お金を出してでも欲しいものがなければ、時間の余裕を持つ(財やサービスの代わりに余暇を消費する)ほうがつらいアルバイトよりいいと思うでしょう。逆に、たくさん売れると企業は人手が欲しくなるでしょう。このように労働にも需要と供給があり、それによって家計の予算も変わってきます。

一般均衡(競争均衡)状態

 労働のように生産に使われる生産要素も含め、この世に存在する財やサービスそれぞれに需要と供給を考えると、たたひとつを除いて残り全部の価格が、「りんごの需要量=りんごの供給量」「みかんの需要量=みかんの供給量」というたくさんの方程式を満たすように決まります。たぶん。この大きな連立方程式がちゃんとした解(価格がマイナスになったら意味がありませんよね)を持つための条件は難しいもので、学部程度では習いません。

「ただひとつを除いて」というのは、ここで決まるのは交換比率だ、ということです。例えばりんごの価格がみかんの価格の1.5倍だとして、みかんを1個100円と決めればりんごは150円になるし、1ドルと決めればりんごは1.5ドルになる、というわけです。

 このように、すべての財やサービスの価格が市場で決まり、需要量と供給量が一致している状態を、競争均衡(一般均衡)が成立している、と言います。

裁定とグローバリゼーション

 さて、市場メカニズムが理想的に機能した場合にどんな世界が実現するか、これで簡単に解説を終えました。このように、「売り手も買い手もすこしでも得をするように行動し、これ以上それぞれが得をする余地がなくなる」メカニズムのことを市場メカニズムと言います。「市場メカニズム(マーケットメカニズム)が働く」とは、たいていの場合、

 といった現象をいいます。

 しかし、地理的に離れた市場や、似たような財・サービスの市場の間でも、一種の市場メカニズムが働きます。市場同士で価格差が出来たとき、安いほうで買って高いほうで売り、差額を稼ぐことが出来ます。これを裁定行動といいます。

 1990年代以降、ソビエトと東欧が社会主義を捨てて世界市場に組み込まれ、中国も大幅な市場開放に踏み切って輸出を伸ばしたことをきっかけに、人間、資本、財の移動が今までよりも安く簡単にできるようになり、世界全体がひとつの巨大市場となるグローバリゼーションが進みました。インターネットの登場などIT技術の急速な進歩も、グローバリゼーションの重要な原動力でした。

 グローバリゼーションの進行により、世界各地から今までには輸入したくてもできなかったものが輸入され、今までの財やサービスは買い手を失いました。例えば英語のタイピングはインドや西南アジア諸国の企業に依頼することもできますから、サービスも海外で購入して、財に変えて日本に持ち込むことができるのです。日本語のできる中国人を雇用して、お客様電話サポートセンターを中国に移してしまった企業もあります。

 このことには、良い面も悪い面もあります。経済学部の多くの講義で、グローバリゼーションの様々な側面に皆さんは出会うことでしょう。

限界概念

(総)費用=固定費用+可変費用

 企業が生産のために使う材料や労働への支払額を費用といいます。費用の中には、生産量を増やすと余計にかかるもの(可変費用)と、どれだけ生産しても最初に同じだけかかるもの(固定費用)があります。

(総)費用=固定費用+可変費用

 生産は一瞬で終わるものではありませんから、何月何日何時何分、というひとつの時点に注目すると、すでに払った(払うと約束して取り消せないものを含む)費用と、まだ払うと約束していない費用があります。すでに払った費用をサンクコストといいます。
 
 固定費用はすべてサンクコストのように思えますが、経営の悪化した企業が本社ビルや工場用地を売り払うことはよくあります。固定費用にも、生産をやめてしまえば返ってくる部分があるのです。

平均費用

 平均費用という言葉をよく使いますが、その意味は次の通りです。特に変わった言葉の使い方ではないですよね。

 費用÷生産量=平均費用

限界費用

 生産量を増やすと、可変費用だけが増えていきます。固定費用は増えません。増えない費用のことを固定費用と呼ぶんですから。

 あと1個生産量を増やしたとき、増える可変費用の額を限界費用といいます。数学を使ってこの問題を考えるときには、このことを微分を使って説明しますが、直感的には「最後の1個を生産するための可変費用=限界費用」です。

限界費用と限界収入

 同様に、「最後の1個から入ってくる収入」を限界収入と呼びます。零細多数の売り手・買い手がいる世界では、「限界収入=価格」と考えていいでしょう。もし売り手がひとつの企業しかいなければ、もっとたくさん買ってもらうには価格を下げないといけないので、限界収入を計算することが少し難しくなります。「独占企業の利潤最大化」についてはミクロ経済学の授業で聞いてください。

 いずれにせよ、最後の1個を作ることで企業は「限界収入−限界費用」を得ます。だとすると、

 ということになります。限界収入=限界費用なら、その1個は作っても作らなくても良いのですが、もし限界費用がだんだん上がっていき、価格が一定であるなら、

 ことで、利潤を最大にする生産量が選べます。それ以上だと限界収入<限界費用、それ以下だと限界収入<限界費用になるからです。

固定費用を無視することの意味

「限界収入=限界費用」、あるいは「価格=限界費用」が利潤最大化のための生産量決定ルールだとしたら、そのルールには固定費用の大きさが入ってこないことになります。

「過去にどれだけお金をつぎ込んだかは忘れて、これから手に入る利潤をなるべく大きくするのが経済合理的な意思決定だ」と言ってもいいでしょう。

 こうした考え方は、普通の日本語で言うと「割り切った」「ドライな」「現実的な」ものです。例えば何代も続いた自分の小さな店が赤字続きだとして、店を閉めないと借金が増え続けるとしたら、店を閉めてしまうのが「現実的」です。「頭ではそれは分かる」けれども、多くの商店主は店を閉めることをためらうのです。自分や父母、祖父母がその店につぎ込んだ費用の大きさを思って。そのことは今日利潤を出せるかどうかには、ほとんど関係がないのに。

 ミクロ経済学は、現実の世界からその一部分だけを切り出します。それは経済面だけをとっても、世界の一部でしかありません。一番重要な一部だ、とも言い切れません。

限界概念で考えることの例 その1:0円ケータイと装置産業

 例えば、携帯電話会社が全国に中継局を作り、ずっと動かしていくには大変なお金がかかりますが、利用者が少し増えても減っても、あるいはあなたが今日長電話をしてもしなくても、中継局の維持費用はほとんど変わりません。携帯電話産業は、費用の中で固定費用の割合が非常に大きい産業といえます。加入者を増やせば費用は増えずに料金収入だけが上がるので、0円ケータイを配ってでも新規加入者を増やそうとするのです。

 費用の中で固定費用の割合が高い産業を、装置産業と総称します。こうした企業は、固定費用をつぎ込んだ設備を遊ばせず、最大限に利用するために、料金で誘導することがあります。例えばJRの特急料金は年末年始やお盆に少し高く、お客の少ない季節に少し安くなります。ディズニーランドが平日限定、期間限定、夜間限定といった様々な割引チケットを出して、お客の少ない日や時間帯にお客を誘導しているのはご存知ですね。限界費用さえカバーできれば、割引をしてもお客が来るだけいいのです。

 ディズニーランドのようなテーマパークの経営が安定する鍵は物販だ、というのが定説です。グッズを買ってお客が残してゆく収入、そしてその中の利潤が重要だということです。オフピークの時期や時間でも、お客を増やすことが物販収入につながるということですね。

 例えばアニメ制作会社は、放送局に対して放映料を払います。スポンサーのつきにくい深夜枠では放映するほどコストがかさみ、DVD販売などで回収することを目指すわけですが、アニメ単体で大きな黒字を出すことはきわめて難しいのだそうです。ここでもやはり、収益の鍵はグッズ販売など、いったん(大きな固定費用をかけて)製作した作品を低コストで二次利用する版権ビジネスです。

 キャラクターグッズと同種の財の製造原価はあまり変わらないとすれば、高いキャラクターグッズと普通品の差額を版権料として取るために、版権を持つ企業の限界費用はほとんどなく、版権料がそのまま利潤に加わる、ということになります。

経済産業省文化情報関連産業課「アニメーション産業の現状と課題」

限界概念で考えることの例 その2(夕方のスーパー)

 夕方になると、賞味期限の近づいた生鮮食料品のパックに、値引きシールが貼られます。今日が賞味期限で、もし閉店時に残っていたら捨てなければいけない場合でも、ほとんど値引きしていないパックもありますし、タダ同然に値引きしたパックはあまり見かけません。

 しかし、返品できない生鮮食料品パックを仕入れてしまったら、もうそのパックの限界費用は0円なのです。パックの仕入代金は可変費用ではなくなったのですから。だから、理屈から言うと、確実に閉店までに売り切れるような、思い切った値引きをするはず。

 実際には、もし毎日そんなことをしたら、消費者は値下げを待って、日中には買い物をしなくなるはずです。「売れ残ったら捨ててしまう」ことはムダなようでも、「残っていたら必ず値引きする」よりも小売店の利潤を高める効果があります。

均衡概念

競争均衡ふたたび

 すべての財やサービスの価格が市場で決まり、需要量と供給量が一致している状態を、競争均衡(一般均衡)と呼ぶことはすでにお話ししました。

 競争均衡では、市場参加者の誰もが、自分に決められることをどう変えても、それ以上得をすることができません。たとえば、

 同じものなら、一番安いもの。似たようなものなら、一番割安なもの。そのように消費者は考え抜き、企業は「一番もうかる財と生産量」を徹底的に求めた状態が、競争均衡だとも言えます。グローバリゼーションのあとに世界経済のモノの流れが激変したのは市場メカニズムの働きだ、と以前に説明しましたが、競争均衡は「これ以上どうしようもないところまで市場メカニズムが働いた」状態とも言えます。

機会費用

 競争メカニズムの基礎にある、少しでも自分の得になるように行動する考え方(経済合理的な考え方)を短く言い表すのに便利なのが、機会費用という言葉です。

 例えばりんごが70円で売られているのに気づかず、100円で買ってしまったら、30円「損をした」ことになります。この損をした30円のことを機会費用と言います。30円節約する機会があったのに逃してしまった、というような意味です。経済合理的な行動は、機会費用をいつもゼロに保つ行動です。

機会費用で考えることの例 その1:機会利子

「借金は怖いこと」であり、「自分のお金は自分のものだから、残しておけば損はない」というのが、多くの人の考え方だと思います。

 経済合理的な企業は、必要な期間だけお金を借りて事業をするとき、なるべく利子を払わずに済ませようと考えます。実際の金融は、株主への配当、借り入れや社債への利子、一部の社債への新株引き受け権などいろいろな対価の形式が交じり合っているので、「資本コスト」という言葉を使って「お金を出す人に払う利子みたいなもの全部」 を表すこともあります。

 自分のお金も、他社の社債を買ったりすれば利子や配当が入ってくるわけですから、自分自身の事業に使って低い利回りしか得られなかったら、ある意味で損をしたことになります。

 自分のお金を自分の事業に使ったら、一番有利な他の運用機会で得られたはずの利子をもらい損ないます。これを機会利子といいます。自分のお金の資本コストは、この機会利子だと考えます。

 他人のお金を借りるより、自分のお金を使うのがいちばん資本コストが安い、ということはよくあります。しかし、自分の事業から得られる利益をつぎ込んだお金で割ると、機会利子を下回っていた、ということもよくあります。こんなときは、理屈から言えば、その事業をやらずにお金を他に回したほうが得だった、ということになりますね。

機会費用で考えることの例 その2:ナイルパーチ

 アフリカのタンザニア湖は、3つの国にまたがる大きな湖です。食糧不足に苦しむ貧しい国もありますが、ここで取れる白身魚のナイルパーチは輸出され、外貨を稼いでいます。その売り上げは加工場の労働者を通じて、その地域に収入をもたらしています。おそらくこの地域でナイルパーチを食べたり、放流しなかったりするより、輸出したほうが豊かな暮らしには貢献しているでしょう。

 ただし、この肉食魚ナイルパーチは人間が漁獲のために放流した外来種で、もともとタンザニア湖にいた魚たちを食い荒らして生態系を壊しました。産業は発展したものの、流入した人口をケアする地域社会の余力はなく、貧困・犯罪など途上国の都市問題も持ち込まれました。市場メカニズムは、社会はおろか、経済社会の一部しか視野に入れていない、という例といえるでしょう。

ナイルパーチについて(Wikipedia)

労働者の移動、開発輸入

 自分が得をすることで、自分にできることは、どの人もすべてやっている。これが競争均衡の必要条件です。

 自分という労働力が、他の国ならもっと高く買ってもらえるとしたら、他の国で働くのは経済合理的な行動です。日本は色々な理屈をつけて、海外の労働者が日本で働くことを強く制限してきました。

 しかし逆に言えば、日本で物を作ると、賃金が高い分だけ高くなります。賃金の安い海外で作られた製品が、日本製品を押しのけることは、日本への労働流入を規制するよりも、日本にとっては難しいことです。日本の企業は競争に勝つために、今までよりも安く雇える契約社員や派遣社員をできるだけ多く使い、少数の正社員にできる限り多くの仕事をさせる方向に変わってきました。契約社員や派遣社員には退職金を払わないことにできますし、厚生年金や健康保険の対象外となるような短期・短時間の使い方もあるので、広い意味での人件費を節約できるのです。その分だけ、労働者全体としての取り分は減ることになります。世界の(日本より低めの)賃金が日本にも賃下げ圧力をかけるのです。

 日本企業は海外で部品を作って輸入し、日本で作る部分を少なくすることで安めの製品を作れますし、日本の事情に合った製品を海外の工場で作って日本で売ることもできます。日本向け仕様で生産し輸入することを開発輸入といいます。例えばクレーンゲーム景品の多くは、日本でしかやっていない番組のキャラクターでも輸入品です。

 いわゆる先進国はどこでもそうですが、高い生活水準を維持しようと思ったら、先端産業や技術集約型製品をメシのタネとしてキープできなければなりません。例えばCD-Rはもともと日本で開発された商品ですが、現在は台湾、中国、インドなどでほとんどが生産されています。日本企業はそうしたCD-Rメーカーに記録膜材料(ピカピカした裏面は、これが塗ってあります)や製造装置を売っています。


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