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ミクロ経済学特講2009
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== このページについて == これはH21(2009)年度夜間後期開講、ミクロ経済学特講の講義ノートです。 == 講義のテーマ、進行方法など == この講義は、講義中に話し合うこと、考えをまとめて文書に書くことを重視します。いくつかの(単純な)ミクロ経済学のモデル中に現れる合理的行動が、いろいろな市場でどのように現れるかを考えていきます。 講義のテーマは、最近世界経済で猛威を振るう「グローバリゼーション」です。世界がひとつの市場につながってしまったことによって、誰にとっても得をした面と損をした面があります。それらはなぜ起こったのでしょうか。 == 講義内容 == === 基本原理 === *裁定と一物一価の法則 経済合理的行動をする人が、ひとつのものに別の場所で(あるいは別の売り手・買い手によって)2種類の価格がついているのを見つけたとします。安いほうから買って高いほうに売れば、差額を手に入れることが出来ます。こういう取引を'''裁定'''といいます。 すべての裁定機会が抜け目なく利用されると、その結果、ひとつのものにはひとつの価格がつくはずです。これを'''一物一価の法則'''といいます。 *規制と資源配分のゆがみ・ムダ 市場メカニズムの働きを政府が邪魔しないことを主張する人たちの根拠は、大きく分けてふたつあります。ひとつは、取引価格や数量への制限、取引の禁止、あるいは特定の取引だけへの課税が資源配分のゆがみやムダを生むからです。 例えば京都府だけが「深夜コンビニ営業」を禁止したとします。大阪・奈良・滋賀などの府県境に開店しているコンビニは越境客でにぎわうでしょう。深夜に営業しているファミリーレストランの売店は客が増えるでしょう。軽トラックで行商を試みる業者が出現するかもしれません。いずれにしても消費者は、今までと同じものを得るために交通費や時間を余計に使い、不便を感じます。 実際に起こった、多くの受講者に身近な例は、TASPO導入でしょう。この政策はまったく正当な(ただし経済的なものではない)目的を持っていましたが、自動販売機に頼っていた煙草小売店とコンビニエンスストアのバランスを大きく変化させました。自動販売機という販売手段を利用するための諸費者にとってのハードルが上がったことで、煙草を買える場所は減少すると予想されます。 いずれの場合も、特定のタイプの取引を制限することで、誰かに余計な費用が発生し、限りある生産要素(モノに限らず、時間なども)がそれに使われます。 「資源配分のゆがみ」は、例えば国産農産物を保護するために、農産物輸入を禁じた場合に起こります。輸入禁止がない場合よりも、国産農産物は余計に作られるはずです。ただし国民は割高なものを買わされますし、もっと安く農産物を作れるはずの国や地域は、作っても買ってもらえないので生産能力を生かせません。国内で農産物生産に使われる労働や資材を外国へ持って行って生産に使えば、同じだけ生産してもまだ余るでしょう。余った分は、現在はムダに使われている、ということになります。 資源配分のゆがみは、「余分に作られるもの」や「売れないので少ししか作られないもの」ができるので、結局せっかくの生産要素を活かしきれず、ムダにつながるのです。 もうひとつの根拠は、競争を制限すると独占企業の中でムダが放置され、その余計な費用は結局消費者や納税者が払うようになることです。 *規制の網を乗り越える いまの話にも出てきましたが、規制があると、それを乗り越える方法を工夫する人が現れます。そのことによって、規制の実効は上がらず、規制を乗り越える工夫が余計な費用を生むだけ、という結果もありえます。 例えば1988年まで、日本は国内農家保護のため、牛肉輸入量を制限してきました。ところが、生きた牛の輸入は制限されていなかったので、輸送機で生きた牛を日本に輸入することが行われました。もちろん、食べられる部分だけを日本に輸入するほうが輸送費は安上がりです。 企業に余計な費用をかけさせる結果を承知のうえで行う規制もあります。自動車が典型的ですが、国内産業を育てるため、完成車に自動車部品より高い関税をかけ、国内で組立作業を行うよう政府が企業を誘導することはよく行われます。少なくともその国の自動車産業が発展するまでは、わざわざ効率の悪い工場で組立作業を行うことになります。 こうした規制は、短期的な経済効率を犠牲にして、別の政策目標(例えば長期的な産業発展)を追求するものです。ですから、「デメリットに見合ったメリットがありそうか」が問題になります。 *規制主体(政府)には国境がある、企業には国境はない 2007年~2008年のサブプライム危機を根深くしたのは、タックス・ヘイヴンに多くのファンドが置かれ、それらのファンドを欧米の規制当局が直接把握できないので、「誰がどれくらい損しているのか互いにわからない」ことでした。実際に救済に乗り出せるのは税源を持った各国政府しかなく、ECにも加盟せず独自の金融立国を目指したアイスランドは孤立無援に陥りました。 取引で利益を得る可能性がある限り、実質的には市場はどんどん広がっていきます。企業もそれにつれて多国籍化したり、多国籍で提携を結んだりします。国家の規制を離れた市場が思わぬ疑心暗鬼に陥り、誰にも手の打ちようがない事態をもたらしたのが今回の問題でした。かといって、国家の力では取引全体を把握・規制することも不可能なのが現状です。 *契約自由の原則 契約自由の原則は主に私法(民法)の言葉ですが、経済活動の大前提でもあります。人や企業は、原則としてどんな契約でも自由意志で結べる、というものです。これが満たされない世界は、政府が徳政令で私人間の契約を無効にしたり、契約を履行させる民事手続を提供しなかったりする世界です。確かに「後から見れば好ましくない」取引はあるのでしょうが、それを個別に政府が否定・修正することを認めると、安定的な経済活動の基礎が崩れてしまいます。 === 財の貿易 === *お前は確かにいい仕事をするが、世界じゃ二番目以下だ 「グローバリゼーション」を短く説明すると、「世界がひとつの市場になってしまうこと」でしょうか。貿易制限や関税を互いに取り払う努力と、1980年代~90年代のソビエト・東欧社会主義政権崩壊、そして中国の開放政策の結果、政策的に切り離されていた市場が減り、どこのものでも自由に買えるようになりました。 言い換えれば、同じものなら、世界で一番安いものだけが売れ、いままで売れていた「世界じゃ二番目以下」のものは売れなくなるということなのです。 日本でも1990年代以降、多くの軽工業製品(例えば漆器)、そしてもちろん食品が外国製品との競争に負け、販売量や販売額を減らしました。 市場メカニズムは既得権を保護しません。アメリカの家電メーカーなんて聞いたことがありますか(もちろんあることはあるのです)? 日本が家電製品や自動車を輸出し、自分の石油代金を払えるようになるまで、世界中でライバルと戦い、ライバルが成長する芽を摘んできたのです。 *安く作れば安く売れる よく「中間マージンを抜くから安い」と宣伝している業者がいますが、卸や小売店も競争していますから、「何もしないで稼いでいる部分」はあまり残っていないのが普通です。もし残っていたら、それは政治的な問題で参入が制限されているケースで、競争を仕掛けることそのものが難しいでしょう。 安く売るための基本は、安く作ることです。多くの場合、賃金が一番安い国で作ることです。労働もまた、市場メカニズムに乗ったサービス(形のない有価物)なのです。一番安い労働だけが売れますから、賃金の安い国が世界市場に参加してくるたびに、世界中の賃金がそれによって下落圧力を受けます。 アメリカでは非正規雇用全体を指してコンティンジェント(条件付)雇用と呼びます。<del>多くの国で非正規雇用が広がり、実質的な賃金切り下げが起きています。</del> *ソシアル・ダンピング 1930年代、世界に先駆けて世界大恐慌から回復しようとした日本は、安価な綿製品をインドに輸出したことでイギリスの反発を招きました。日本は国全体をわざと低賃金にして輸出価格を下げている、という批判が寄せられ、ILO(リンクしている報知新聞記事では現在と異なり、国際労働局と訳されています)から現地調査が行われる事態になりました。こうした対立が繰り返され、各国が自国通貨経済圏外からの輸入に高率の関税をかける事態となり、第二次大戦へとつながっていきました。 だからグローバリゼーションを推進する自由貿易の考え方は、取引から締め出される(貧しいままに置かれる)国を作らないことが世界の安定に必要だ、という政治的な考慮からも支持されて来ました。それだけ、グローバリゼーションによる損得勘定は複雑であると同時に、戦争につながるほどの死活問題であり続けてきたのです。 [http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00484961&TYPE=HTML_FILE&POS=1 神戸大学電子図書館 新聞記事文庫 日本(25-119) 報知新聞 1934.10.7(昭和9) 「ソシアル・ダンピング日本には存在せぬ モーレット氏の終結的報告」] [http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/1995/rn1995-036b.html 法政大学大原社会問題研究所 大原デジタルライブラリーより『日本労働年鑑 第65集 1995年版』「第一章 ILO創立から日本の脱退まで(一九一九~一九三八年)」] 中国の人民元レート問題も、こうした文脈で見れば古い問題の再登場です。中国は人民元と外貨の交換を当局がコントロールし、巨大な貿易黒字で得た外貨をそのまま政府の外貨準備として蓄積し続け、ついに世界一の外貨準備を持つに至りました。特にアメリカは、中国が人民元レートを切り上げ、輸出を抑制して貿易黒字を減らすよう断続的に要求しているようです。 In late 2006, Mr. Paulson invited Mr. Bernanke to accompany him to Beijing. Mr. Bernanke used the occasion to deliver a blunt speech to the Chinese Academy of Social Sciences, in which he advised the Chinese to reorient their economy and revalue their currency. [http://www.nytimes.com/2008/12/26/world/asia/26addiction.html?_r=2&pagewanted=1 "Chinese Savings Helped Inflate American Bubble" Published: December 25, 2008, NYTimes.com(ニューヨーク・タイムズ紙)] === ばらされる財(産業内貿易) === *ドリームチームとしての工業製品 例えばHDD磁気ヘッドのTDKのように、特定の部品でシェアの高いメーカーはいろいろな産業にあります。それを国際的に集めて、トータルで一番安上がりな製品作りを完成品メーカーが競い合っているのが現状です。 *高付加価値製品への傾斜 例えばCD-Rは日本で開発された製品です。主要な生産国は台湾ですが、CD-Rに塗る磁性体は主に日本製です。いちばん高い技術を要する部分だけが日本国内に残っているわけです。 *韓国の対日貿易赤字はなぜ大きいか 韓国は高い技術を要する部品や高度な工作機械の多くを日本から輸入しています。韓国が輸出で好調になるほど、日本からの輸入が増える構造が、韓国の外貨準備が増加しない原因になっています。 *モジュラー型生産方式と労働問題 自動車部品を完成車メーカーが買って組み立てる場合に、従来より大きい単位まで組み立てたものを買う(例えばフロントパネルと計器類を別々に買うのでなく、フロントパネルに計器類を取り付けた状態で買う)傾向があり、これをモジュラー型生産方式といいます。 例えば造船の「ブロック工法(block assembly)」や標準建材を汲み上げるプレハブ住宅は、モジュラー 型生産システムより長い、50年以上の歴史を持ちます。モジュラー型生産システムがどれくらい新しい 概念であるかについては、議論があります。 モジュラー型生産方式が従来より広く見られるようになった原因はいくつか考えられていますが、そのひとつは、高賃金で強力な労働組合を持つ完成品メーカー労働者の仕事を、より低賃金なサブアセンブリ(中間的な組み立て)メーカーの労働者でなるべく多く置き換えるためだと言われています。 従来から自動車部品には、大きく分けて次の3種類があるといわれて来ました。 -承認図部品 完成車メーカーの仕様書に会うよう、部品メーカーが設計図を描く。 -貸与図部品 完成車メーカーが設計図を描いて渡し、部品メーカーはその通りに作る。 -市販品 自動車以外にも使われる部品や材料。その分野の専門メーカー(大企業も多い)から購入する。 日本の承認図部品メーカーは開発段階から完成車メーカーにパートナーとして選ばれ、秘密を共有しつつ 共同開発に関わって来ました。その中で最大のものはトヨタに空調部品・エンジンプラグなどを提供する デンソーで、燃費向上や環境基準達成にとって決定的に重要なトヨタのガソリンエンジン制御システムには デンソーの技術が貢献しています。フォードやGMが1990年代に部品生産部門を別企業に分離したのは、 こうした技術開発パートナーを育てるためだったのでしょう。ただしその後のビッグスリーを襲った 業績低迷で、どちらの子会社も経営は思わしくありません。 *安い部分は安いところから ひとつの財を複数の部品に分け、それぞれ一番安いところから買うことはよく行われています。同じ財であれば、トータルで最も安く生産できる企業が価格競争に勝ちます。 日本国内の工場が「安く作る」面で外国工場に負けるなら、海外にない高い技術を必要とする高付加価値製品を日本に残し、それ以外は外国工場から買うようにしないと、日本製品が海外製品に価格面で負けてしまいます。問題は、そうした高付加価値工場の仕事が、日本人の多くを雇うほどにはないことです。 === 何と何が同質なのか === *ベルトラン競争と品質差別化 例えば限界費用cでいくつでも生産できる財があったとします。同じ生産技術を持つ企業同士が競争すれば、市場価格はcになるまで値引き合戦となります。たとえ正の固定費用がかかる財でもそうなりますから、利潤はゼロかマイナスになってしまいます。こうした「限界費用一定」の2企業価格競争を特にベルトラン競争といいます。 こうなってしまったらどう企業努力を重ねても利潤はゼロ以下ですから、そういう状況に陥らないように多くの企業は努力します。つまり「自分の財は他社の財とは別種の製品だ」と消費者にアピールして、他社より少し高くても納得して買ってくれるよう努力するのです。「品質とは何か」と考え始めるとそれだけで半年くらい講義できてしまいますが、そこは考えないことにして、他社と異なる品質の製品を生産することを品質差別化といいます。 別の言い方をすれば、品質差別化とは「自社製品の市場を類似品の市場から切り分け、できるだけその市場の独占企業に近づく」ということです。一物一価の法則が働く市場メカニズムの下で、違う価格を得ようと思ったら、違う市場の違う財にしてしまうしかないのです。 *ブランド化戦略と無数のシカバネ 自社ブランドを認知してもらえば価格競争から部分的に抜け出せます。完全には抜け出せませんが、少しノーブランドの製品より高くても、消費者が認めて買ってくれます。 農産物の産地ブランドを含めて、「他社とは違う・他産地とは違う」ことをアピールする試みは常に、無数の企業や団体によって行われていますが、価格差をつけても売上が激減しないほどの肯定的な認知に成功する例はその一部です。作る側は差をつけたつもりでも、買う側がそんな点を評価しなければ、高い価格の製品を買いません。 近所のスーパーマーケットへ行って、生卵の売場を見るのが、この話を実感する一番簡単な例でしょう。一番安い卵は10個200円くらいで、一番多くのパックが並べてあるのは、その一番安い卵だと思います。もっと安い価格で「おひとりさま1パック限り」の特売をしているかもしれません。それを目当てに店にやってくるお客が、他の物も買っていくことをお店は期待しているのです。 それほどパックが並んでいないけれど、値札・名札が大きくて、目立つ場所においてあるのが、10個250円くらいの卵(のうちひとつのブランド)だと思います。「このくらいの価格差ならアピールすれば売れる」とお店が考えているのでしょう。 そして、もっと高い価格の卵も並んでいるはず。「大きい」「新鮮で安心」「栄養価が高い」「特に卵のおいしい品種から生まれた」などというアピール点がパックや値札・名札に書いてあるでしょう。いくつかのブランドは、テレビなどで宣伝もしています。あなたが消費者として魅力を感じる程度は様々でしょう。魅力が小さければ、わざわざ高い卵は買わないでしょう。 *プライベートブランド、ダブルブランド 特定の小売チェーンにしか置かない約束で小売チェーンが作ってもらっている商品をプライベートブランドといいます。コンビニチェーンにはたいてい、そのチェーン専用の商品がたくさんあります。 他のお店に売れなくなることは、売れ残りリスクをその店(とメーカー)が全てかぶることになります。しかし「違うもの」と認知されれば、小売チェーンも他のライバルとの価格競争から逃れることができます。 アメリカでは「メーカーや卸が大手チェーンにだけ安く販売すること」が日本より厳しく禁じられています。しかし違うものに違う価格をつけることは禁じられていないので、日本よりも早くからプライベートブランドが広がりました。つまり大手チェーン専用の製品を作ってもらって、それを安く売ってもらうのです。だからアメリカの規制は、中小小売店が大手チェーンと競争するうえで、期待されたほどには助けになりませんでした。 メーカーが同じような製品をわざと別ブランドで売ることもあります。安売りをうたう大手チェーンで安く売っていることがわかると、もっと小さな店で高い価格を払っている消費者がそっちに行ってしまうからです。また、「他店より一円でも高ければ値引き…」とうたっているような家電量販店では、メーカーにそのチェーン専用の商品を作ってもらい、他店との比較を免れることがよく行われます。あくまでこれは部分的なものですが、チェーン限定商品が目立つ位置におかれていることもよくありますから、利益面では売上比率以上の比率で貢献しているのでしょう。 *他と同じものを売らないメリットとデメリット アオスジアゲハというチョウがいます。青緑の模様が羽根にあるこのチョウは、都会で一番普通に見られるアゲハチョウです。なぜ多いかと言うと、都会によく植えられている木の葉を、幼虫が他のアゲハチョウより幅広く食べることが出来るからです。逆に、ジャイアントパンダは他のクマが食べない竹を食べることで新たな生息地を得ましたが、数十年に一度起きる竹の大量枯死があると大打撃を受けてしまいます。 他と同じものを売らない/作らないようにすると、競争相手は減るのですが、買い手の幅も狭くしてしまいます。また、インターネットの普及などで遠くの売り手・買い手と取引できるようになると、今まで競争がなかった分野に競争が起こって、競争に負けてしまうこともあります。 *[参考]ブランド間競争とブランド内競争 中小小売店やその団体は、他店で安売りがあると、メーカーや卸に苦情を言います。大手チェーン以外の販路も切り捨てられないと考えるメーカーは、その苦情を聞き入れて、小売店間の価格差が大きくなり過ぎないようにいろいろな手段をとります。あからさまに取引停止などをテコに値下げをしないよう要求したりすると独占禁止法違反になりますから、もっとマイルドな手段しか取れません。 メーカーのライバルは他のメーカー(ブランド間競争)であり、小売店のライバルは他の小売店(ブランド内競争)です。小売店はどのメーカーの製品が売れてもよいのだし、メーカーはどこの小売店が自社製品を売ってくれてもよいのです。小売店は赤字の目玉商品(ロス・リーダー)を作って他の小売店から客を引き寄せ、他の物もついでに買ってもらうことで採算を取ろうとすることがありますが、そんなことを許せばそのメーカーの製品はどの小売店からも値引きを要求され、メーカーが保ちません。価格を維持するためには、メーカーは販路を絞り、できるなら取引小売店や取引卸が競合他社製品を扱わず、ブランド内競争を刺激しないことを望みます。流通系列化は多くの産業でみられますが、メーカーは卸や小売店をひきつけておくために大きな費用負担を強いられます。 === 国境を越える人々 === *外国人労働者問題 伝統的な貿易理論のモデルでは、「財は貿易できるし資金も国境を越えて運用先を変えられるが、労働者だけは移動できない」と仮定するのが普通でした。別の言い方をすれば、労働は非貿易財の代表でした。しかし実際には、昔から国境を越えた労働者の移動はよくあることでした。 そして、低賃金労働者として働き口を探す結果、受入国の住民は仕事が奪われたと感じ、摩擦や忌避を起こすことがありました。 *アメリカのコンティンジェント労働-そしてみんな派遣になった- アメリカでも正社員以外のコンティンジェント(条件付)労働者が、正社員と大きな賃金格差を持っていることが問題になっています。それ以外の先進国でも非正規雇用は広まっており、賃金格差があります。 高付加価値部門がもっぱら先進国で競争力を残す分野となった結果、自らの差別化に成功して高給を得るタイプの人材と、外国人労働者との競争にさらされる人材の待遇格差が広がり、後者は不安定で企業の費用を最小化する雇用形態でも働き手が見つかるようになった、と考えられます。 *労働における先任権と荒れる若者 多くの先進国で、労働組合は組合活動を行ったことによる差別待遇を退ける意味もあって、先任権を求め、獲得して来ました。これは、レイオフ(一時帰休)などの不利益を後から雇われた順に課し、昇進や上位職への転換機会は雇われた順番に与える、というものです。この制度は、不況期に若者へしわ寄せが集中するという欠点を持っています。 いったんこの制度が確立した社会では、職に就けないといつまでたっても先任順位が得られず、好況になったころにはその時点での若者が良い職を占めてしまうおそれがあります。こうした場合、若者の士気阻喪を防ぎ、就業を促進することは社会を安定させるためにも重要になります。 *労働市場を閉鎖したら? 例えば外国人労働者を排除すれば、企業の労働コストは上がり、その国の製品は売れなくなり、結局仕事がなくなってしまいます。労働市場「だけ」を人為的に操作しても、他の市場での不利益は防げません。他の国の安い労働で作られた製品が、国内市場ですら消費者の支持を得るでしょう。 逆に、比較優位のない国内産業を守ることが(ソーシャル・ダンピングとまったく逆に)国民の生計費を押し上げ、賃金水準を上げる圧力となって、産業の国際競争力を損なう可能性があります。イギリスが工業立国として生きることを決意し、国内農業を保護する穀物条例を廃止したことは、産業革命期の歴史的な決定でした。 「国民への所得分配」と「賃金水準を国家がコントロールすること」を切り離して考えるべきかもしれません。もちろん、所得分配の原資は企業の支出した全てのもの(賃金給与、配当、利子…)からいくらかずつ得ることになります。この問題は(市場メカニズムの話ではなくなってしまいますが)別の機会にもっと詳しく取り上げたほうがいいでしょう。 [http://www.jil.go.jp/kunibetu/kiso/americaP01.htm 労働政策研究・研修機構(JILPT) 国別労働情報(アメリカ)] [http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaa200301/b0046.html 平成15年版『労働経済の分析』(厚生労働省) 就業形態の多様化に関する国際比較 (第II部第2章第2節 5))] === 労働者の値打ちと暮らし === *人的資本-高く売れる労働とは 例えば1980年代にはプログラマー不足論が叫ばれ、専門学校などから多くのプログラマーが業界に供給されました。しかし企業が自社業務に合わせた専用ソフトを開発することをやめ、パッケージソフトや汎用ソフトのマクロ(例えばExcelで動く簡単なプログラム)で済ませるようになると、プログラマーへの需要はしぼみました。業界からは多くのプログラマーがはじき出され、他業種への不利な中途採用を強いられました。 時代によって不足が叫ばれる職種、高給な職種は変わっていきます。人間は生産のための人的資本であり、教育は人的資本への投資であるとする考え方がありますが、その資本価格は人の標準的な一生の間に大きく変動することがあります。 *企業特殊的投資と関係特殊的投資 例えば資格試験の対象になる技能は、現場でも試験場でも、別の企業の現場でも発揮できるような技能でしょう。 しかし「その企業の仕事や連絡先に慣れていて、処理が速い」ことも一種の技能で、ビジネスの効率を左右します。その企業をその人が離れれば、その人は一から勉強のしなおしで、その技能は価値を失います。ホワイトカラー(事務職)にはよくあることです。 こうした企業特殊的技能を伸ばすための教育・訓練を企業特殊的投資といいます。本人にだけその投資を任せると、企業にとって投資は過少になります。かといって、企業が費用を出しすぎると、汎用的な人的資本まで価値が上がってしまい、もっと高給で他の企業に引き抜かれてしまうかもしれません。引き抜いた企業は引き抜かれた企業の訓練費用をタダ取りして、成果を労働者本人と山分けにするのです。 例えば派遣社員や契約社員にこうした企業特殊的技能を自分で伸ばせと言っても、言うことを聞かないでしょう。逆に言うと、正社員は企業にとって取替えの効かない技能を何か身につけないと、ある日突然、企業によってもっと給与の安い社員に置き換えられてしまう危険がある、ということです。しかしもちろん、企業そのものが倒産や合併にあえば、自分の積んだ企業特殊的投資もムダになります。 取引先との関係についても、企業特殊的技能を広げて考えることができます。関係特殊的技能とでも言っておきましょうか。例えば取引先が担当者を交代させたり、合併で取引の仕方を大きく変えたりすると、こちら側が積んでいた関係特殊的技能も失われます。 *幸福の定義 企業と労働者の関係はギブアンドテークです。賃金・給料に見合う何かを提供していく必要があります。そして、相手が欲しがるものや高く評価するものは、相手の事情や社会の変化で長い間に少しずつ変わっていきます。 その一方で、労働者は金銭からだけ幸福を得るわけではありません。家庭、地域、趣味の世界など、職場以外の場で生きがいや社会的評価を得ることを積極的に考えておくと、勤務先の盛衰にすべての人生をかけて、倒産などで全てを失うリスクを下げられます。 それは言い換えれば、自分の中での幸福の定義を考え直すことでもあるでしょう。 *[参考]養成所ビジネス あこがれの職業・職種につくための学校は、それ自体がビジネスです。プロとして収入を得られる人々の数と、各種の養成学校が送り出す卒業生の数は一致するとは限りません。そして、志望者が多いということ自体が需要と供給のバランスを動かし、その職種の賃金を下げる材料として働きます。 === 為替レートはなぜ動く === *通貨もまた商品である 私が学生のころに聞かされた古典的な冗談に、「最近話題の東京外国為替市場へ視察に行くから手配しておくように」と国会議員に言われて大弱りした秘書の話があります。「東京外国為替市場」などという建物や団体はないのです。通貨の交換に従事する金融機関やブローカーが互いに交換を提案しあって、一物一価の法則どおり、交換レートについてその時間その時間の相場ができているのです。 交換レートが上がる通貨は、なにかの理由でその通貨が今までより必要とされているのです。 *フローアプローチとマネタリー(ストック)アプローチ [http://hnami.or.tv/d/index.php?basicmacro#ff86a592 ストックとフロー]は経済の動きを考える上で重要な区別です。通貨同士の交換レートを考えるためにも重要です。 例えば日本は長いこと、巨額の貿易黒字を稼いできました。貿易黒字は「その期間の輸出額-輸入額」ですから、フローの概念です。日本に貿易黒字があると、通貨交換市場は「円が足らず、外国通貨が余った」状態になります。日本に円で支払いをしないといけないんですからね。だから交換レートが円高に調整されるはずです。1ドル=100円だったものが1ドル=90円とか1ドル=80円とかの交換レートになるわけです。 このような調整がいろいろな通貨間で行われると、貿易赤字や貿易黒字がなくなる方向に為替レートが調整されるはずです。もう少し厳密に言うと、外国人労働者や外国企業の本国への送金、観光収入や特許料など形のないサービスへの支払いを貿易収支に加えた経常収支について、どの国も赤字や黒字が小さくなるように調整されるはずです。こうした考え方をフローアプローチといいます。 しかし現実には、こうしたメカニズムで為替レートは動いていないようです。少なくとも固定相場制が崩壊した1970年代半ば以降は、ストックアプローチによる為替レート決定の説明が広く受け入れられています。もっとも、未来を予想することはやはり難しいのですが。 為替レート決定にとってのストックとは何でしょう。過去の経済活動で積みあがった、世界中にある金融資産(現金、預金、株式、債券など)をまず思い浮かべてください。金融資産以外のストック(不動産など)も金融資産の取引と互いに影響を与え合います。 例えば東京証券取引所「投資部門別売買状況」で「株券」の「外国人売買における法人、個人の数値」を東証一部について見ると、2008年10月~12月のうちに東証一部の株だけで、外国人投資家は約3兆円の売り越しを出しています。買った株より売った株の代金がそれだけ多いのです。もちろん株が下がったから売って債券などを買った分もあるでしょうが、2008年9月の世界的株安で欧米のファンドが大打撃を受けたので、売れるものを売って本国に送金したことの影響が大きいでしょう。 日本からアメリカへストックを送金する動きは、円を手放してドルに両替しようとするので、円安ドル高の変化を促します。しかし現実にはこの期間に、大幅な円高ドル安が進みました。比較的株暴落の打撃を受けておらず、日本銀行は急に通貨の価値を落とすような金融政策を取りそうにないので、欧米の株式市場や商品市場(原油や穀物も暴落しました)から逃げ出した資金が円資産に逃げてきたのです。 [http://www.tse.or.jp/market/data/sector/index.html 東京証券取引所 投資部門別売買状況] *円キャリー取引 日本は長引く平成不況を抜け出すため、2000年代に異例の低金利状態が続いていました。一方、アメリカの株式市場は好調な値上がりを見せていたので、「日本で低利の借金をしてアメリカの株式市場や不動産市場に投資する」ことがよく行われました。アメリカ向けでないものも含めて、日本で借金をしてすぐ外貨に替えて運用する取引を円キャリー取引といいます。 円キャリー取引は、円を手放してドルを求める取引ですから、為替レートを円安ドル高方向に動かしました。2005年後半から2007年にかけて1ドル=115~120円の時期が続き、輸出産業が日本の景気回復を引っ張りましたが、これは輸出に有利な為替レートが影響しました。2007年になるとサブプライム危機が顕在化してアメリカ株式相場が伸びなくなり、2008年9月を迎えるずっと前から、円キャリー取引の「巻き戻し」による円高傾向への変化が起きていました。 *アメリカの高金利政策 アメリカは1980年代に、外国資金でアメリカ国債を円滑に消化しようとして、高金利政策を採りました。この結果、貿易赤字を出し続けているのに金融取引でドルが買われ、今と比べればドル高円安でした。その裏返しとして、日本の貿易黒字は膨れ上がりました。 1985年にこの状況を是正するため、[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6%E5%90%88%E6%84%8F プラザ合意]によってドル安円高誘導のための国際協力態勢ができ、一気に円高が進みました。 高金利政策といっても、資金は「利率が一定値を越えた国」ではなく「いちばん利率の高い国」に流れることに注意してください。「円キャリー取引」の項で述べたように、日本の低金利政策によって、日本とそれ以外の金利差はここ数年、非常に大きくなっていました。 2008年9月以降、世界各国の低金利誘導(日本と同じ不況対策)によって、日本とそれ以外の金利差は急速に縮小しています。これは円高材料だと考えられます。 === 非経済的な結びつきを加えた取引・交換 === *地域通貨 地域通貨と総称される活動には、実際には色々な考え方や携帯のものが混じっているので、「これが地域通貨で、他の物はそうではない」と説明するのは困難です。 多くの場合地域通貨は、そう遠くないところに住む運動参加者どうしが物やサービスを交換するとき、その交換価値をあらわす、独自に決めた通貨です。例えば「ペンキ塗り手伝ってくれませんか。1日5000ダカット」とか「お望みの中身でパウンドケーキを焼きます。基本料金2000ダカット」とか、申し出を出しあいます。地域の小売店が運動に参加し、代金の一部を地域通貨で受け取っている例もあります。 付加価値税(日本の消費税に当たるもの)が高率の国では、こうした交換で互いに節税できるという事情もあるようです(もちろん税務当局は気づいているので、大規模な取引は課税される可能性があります)。それはともかく、個人間の取引をするわけですから、何らかの連帯感を持つグループ内で運営することが普通です。自然保護運動などと運営主体が重なっていることもあります。 地域に経済的な活気をもちらすための運動ですから、地域通貨は結果的にその地域を「いちばん安いものだけが売れる」世界市場から切り離し、地域内の経済循環を促すように働きます。言い換えれば、運動参加者が「いちばん安いもの」になびいたとき、運動は支えを失います。 *産地直売 産地や生産者に親しみ・連帯感を持ってもらい、価格差ですぐに他へ乗り換えない固定客とする試みは、食品スーパーからNPOまで様々な企業や団体が行っています。取り扱う産物の属性も様々です。例えば特定の農法を厳格に守って作られた農産物も、産地の農業団体が当地の産物を幅広く提供しているものもあります。極端な場合には、消費者にある種の生き方(食品添加物に特に厳しい態度を取るなど)を推奨するものもあります。 *フェアトレード コーヒー、バナナなど先進国が植民地に持ち込んだ農産物は特にそうですが、発展途上国からの輸入品には、消費者が払う対価の中で生産国の労働者に渡る比率が極めて小さいものがあります。こうした製品をNPOが先進国の消費者に届け、より多くが発展途上国のために使われるようにする運動が、フェアトレード運動と総称されています。消費者に渡るところでは、一般小売店や販売サイトの協力を得ることもよく行われます。 *それで、いくら払うつもりがありますか。 地域(地方)振興、発展途上国の貧困脱出など、これらの運動はどれも社会的に(経済的な利益以外に)価値のある目的を達成しようとするものです。自然保護運動が成功するかは「その自然保護のために、人々や政府がいくらまで払う用意があるか」にかかっていることが多いのですが、これらの運動にも似たところがあります。「市場メカニズムを乗り越える存在」ではなく、「市場メカニズムと永遠に競争する存在」なのです。 生産段階で避けられないリスクも、生産者と消費者の間で処理しなければなりません。例えば農産物には天候などによる出来・不出来があり、将来の作物について生産者が出来を保証することはできません。有機・低農薬野菜などの宅配ビジネスで知られる「らでぃっしゅぼーや」には、毎週段ボール箱で野菜を届けるコースがありますが、好きな野菜の種類を消費者が指定することができません。その週の作況によるリスクを産地や企業が負いきれないからです。もちろん「かかっただけの費用を請求どおりに払う」契約なら別でしょうが、それを受け入れる消費者は少ないでしょう。 国有林の分収育林を行う「緑のオーナー」制度は、国有林を守る資金を出資してもらって、材木を売った収益を分売するシステムです。自然保護への協力と利殖が両立する制度だと思われたのですが、木材市場で相場が下落し、平成11年~平成18年の木材販売実績では[http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/kokukan/pdf/071026-02.pdf 林野庁資料]によると平均で元本の65%余りが回収できたに過ぎず、507ヶ所の木材販売で元本を回収できたのは27ヶ所にとどまっています。社会的に価値のある目標と市場取引を組み合わせても、市場メカニズムの働き(この場合は予想を超えた木材価格の下落)を抑え込んだことにはなりません。 [http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/kokukan/071026.html 林野庁「緑のオーナー問題検討チームのとりまとめ結果について」] === 取引への社会的規制(1) 取引制限のロジック === *不当廉売 戦前日本には独占禁止法がなく、価格協定や生産量協定を結ぶことは自由でした。だから多くの業界で、合併して独占企業を作り出すことや、価格協定を結んで価格低下を防ぐことが試みられました。他社が安売りを控えているとき、自分だけが安売りを宣伝すると非常に効果的ですから、こうした裏切り者の出現が価格協定を崩壊させるのが普通でした。また、とくにロシア革命が起きた大正時代以降は、政府は政府の認めた公的制度(例えば加入義務のある業界団体)が物価下落を防ぐために使われ、国民から非難を浴びることを警戒しました。国家総動員法(1940)以降の合併は別として、「過当競争を防ぐ」ための大合併としては大日本麦酒(1906)の例がある程度です。 第一次大戦後、海外から安い価格で輸出してくるダンピングを防ぐ法制が整備され(関税定率法の一部)、それ以外にも競争を制限する法律が検討されました。こうした議論の中で、「不当廉売」という言葉がときどき使われるようになりました。この言葉は「競争によって経営を悪化させる企業が出るのはよくないことだ」という考え方を前提としていたので、消費者を喜ばせて他社から引き抜くことを「不当」と頭ごなしに断言したのです。実際には、ダンピングを除いて、不当廉売全般を禁止する法律は作られなかったので、はっきりと定義されないまま「不当廉売」という言葉だけが独り歩きしていきました。 戦後になってGHQの指導下に独占禁止法ができました。時々誤解している人がいますが、不当廉売という言葉は独占禁止法には出てきません。独占禁止法に基づき公正取引委員会が指定した「不公正な取引方法」の項目名に使われているのです。だから国会では審議されていません。ずっとあとになって、公正取引委員会は「不当廉売とは何か」を説明する文書を出しました。じつはこの「不当廉売」は[http://en.wikipedia.org/wiki/Predatory_pricing predatory pricing]のことだったのです。これは「赤字価格で競争者を追い出し、あとで高い価格をつけて赤字分を取り返し、以後独占をエンジョイすること」をいいます。つまり戦前に使われていた「不当廉売」の中で、ごくごく小さな部分しかこれには該当しないのです。「公正取引委員会は不当廉売について甘すぎる」という批判をときどきメーカーや流通業者の発言で見かけますが、もともと不当廉売なんか規制されていません。その中のごく一部だけが規制の対象で、端的に言えば公正取引委員会の訳語選びがマズかったのです。 [http://www.meti.go.jp/policy/kyoso_funso/pdf/renbai.pdf 公正取引委員会「不当廉売に関する独占禁止法上の考え方」(1984)] *生業権 「競争によって中小企業が事業を継続できなくなることは、理由を問わずそれ自身が不当だ」とする考え方は、「生業権」というバリエーションを産みました。単純化して言えば、憲法25条の定める生存権は法人たる企業にも認められるべきだ、という主張です。今のところ、裁判で認められた例はありません。 *優越的地位の濫用(日本独禁法) 講和条約によりGHQの指導下から離れたあと、1953年独占禁止法改正のさい、「優越的地位の濫用」という禁止行為が新たに盛り込まれました。もともと独占禁止法は良くも悪くもアメリカのシステムでしたが、優越的地位の濫用は西ドイツの制度から採られたといわれます。ただし次の項で述べるように、日本と西ドイツの濫用規制はかなり異なっています。 優越的地位の濫用は、取引相手の相対的な力関係を問題にします。片方がもう片方との取引にもっぱら頼るような関係(従属的な関係)であるとき、そういう関係になった後で不利な取引条件を押し付けたりしてはいけない、というのが規制の内容です。 例えばヤマダ電機が各メーカーから「自社製品の説明・販売のために」受け入れた従業員が、新装・改装に伴う一般的な作業まで行わせていた、などの点を問われて排除命令を受けました。世界的なメーカーでも「依頼されれば断れない」ヤマダ電機の優越的地位を認めたわけです。 *独占的地位の濫用(EC独禁法ないしローマ条約第82条) ECの独禁法にあたる条約には、「支配的地位の濫用」を禁ずる規定があります。この場合は、その製品・その地域で支配的な地位にあるかどうかがまず問題になります。誰に対しての行為であれ、まずその企業が支配的地位になければ、規定の適用はないわけです。 例えばMicrosoft社がこの規定で2004年に受けた欧州委員会決定は、次の2点プラス巨額の課徴金支払いを求めていました。 (1) Windows Media PlayerをWindowsに無料添付して売ることは、同じような音楽ソフトを販売しようとする他社との競争を妨げるので、WMPを含まないWindowsを販売すること。 (2) Windowsのプロトコル仕様を、ワークグループサーバソフトを開発する他社が互換製品を開発して競争できるよう、公開すること。おそらくこれは[http://ja.wikipedia.org/wiki/Microsoft_Exchange_Server Microsoft Exchange Server 2003のRPCプロトコル]が非公開であることを指しています。 この規定は、ひとつひとつは狭い国である西欧において、ひとつの国で独占状態になる企業が出ることは避けられない、という暗黙の前提を持っています。フィリップス社がオランダの家電市場でいくら大きなシェアを持っていても、そのこと自体をとがめて企業分割などを命じていたら、パナソニックやソニーとの競争ができないではないか、というわけです。そのかわり、独占状態になってしまった企業が潜在的なライバルを市場から排除する行動に厳しいのです。 *競争の社会的コスト 上の項目のいくつかで、私は「競争は悪である」という先入観に支配された主張に、好意的でない書き方をしました。実際、「競争は悪である」という前提を認めないと話に入れないのであれば、競争がその人たちからすべてを奪うまでじっと待っているほうが、実り少ない議論からの消耗を避けられます。それを信奉していようといまいと、市場メカニズムは全てを覆うからです。 しかし市場メカニズムを無制限に働かせておくことは、人々を常に緊張下に置き、暮らしを不安定にします。市場メカニズムを信奉する人々はめったに口にしませんが、市場メカニズムを働くままにさせ、敗者の脱落を放置することは、社会にコストを払わせます。コストの負担はたいてい無原則で、一部の人に集中します。例えば自動車販売が急速に落ち込んだことで、自動車関連工場を抱える自治体はいきなり大量の失業者を抱えることになりましたし、住居を失った失業者がホームレスとして地域を徘徊・占拠することへの対策を立てなければいけなくなりました。その対策費用は地域住民がもっぱら負担することになります。 競争を否定すれば、いま勝っている人が勝ち続ける結果を生みます。発展途上国と先進国の経済格差や、富んだ市民と貧しい市民の差は固定されます。アメリカはアメリカンドリームを国民に保証し続けるために、競争のコストを甘受しました。しかしそれが2008年9月の悲劇を生みました。その後の金融機関への政府援助、さらに自動車産業への政府援助は、市場メカニズムを政府支出でかき回す副作用を持ちます。言い換えれば、アメリカは市場メカニズムの維持よりも大切に思うものを、ついに見つけたのです。 === 取引への社会的規制(2) 中小小売店保護=== *百貨店法と百貨店問題 百貨店法の話をする前に、百貨店問題の話をするべきですね。 厳密な用語定義のないまま、みんなが使うようになってしまった経済用語・ビジネス用語はたくさんあります。例えば「価格破壊」などもそうです。この言葉が流行っていたころは、スーパーのチラシなどにこの言葉がよく使われていました。 「百貨店」も最初は定義が曖昧だった言葉で、戦前には今で言う「大型量販店」や「ディスカウントストア」も百貨店を名乗っていましたし、百貨店と呼ばれていました。大幅な割引などの集客手段を使う大衆的な百貨店が、特に中小小売店と競合関係に入り、中小小売店側はこれを「百貨店問題」と呼びました。 中小小売店を中心とする口コミは地域の重要な集票システムでしたから、国会議員には百貨店規制を熱心に説く人々が現れ、この問題を主管していた商工省よりも規制に傾きました。そして議員立法により、百貨店の新規出店や増床を許可制とする[http://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hs12-76.htm 百貨店法(1937)]が成立しました。法律本体には規制対象の店舗面積が書いてありませんが、1500平米以上の「衣食住ニ関スル多種類ノ商品ノ小売業ヲ営ム」店舗をひとつでも持っている企業は百貨店と定義され、小規模な出店でも規制対象になりました。 1947年にいったん廃止された百貨店法は、[http://www.shugiin.go.jp/itdb_housei.nsf/html/houritsu/02419560523116.htm 第二次百貨店法]として、ほぼ同じ内容で1956年に復活しました。第一条の立法趣旨は「中小商業の事業活動の機会を確保し、商業の正常な発達を図り」とうたわれ、消費者の利益についての言及はありませんでした。 しかしこの法律には大きな穴がありました。建物ではなく企業を規制するものだったので、建物の中にテナントを入れれば「出店企業のどれひとつとっても百貨店ではない」商業施設が作れたのです。 *大規模小売店舗法 大規模小売店舗法(1973)は、百貨店法の穴をふさぐ店舗主義を取り、立法趣旨で消費者利益にも言及し、出店・増床を許可制から届出制にすることでスーパーマーケットや百貨店にも配慮した、玉虫色に輝く法律でした。日本のスーパーマーケットは1950年代からそう名乗る店がありましたが、レジでまとめて勘定する方式に生鮮食料品の取り扱いをあわせるのが難しく、私たちのよく知っているスーパーの姿になったのは1970年代に入ってからでした。例えばスチロールトレーに載せてラップしてバーコードシールを貼ってPOSレジで読み取るという、現在では当たり前になった作業の流れも、最初は試行錯誤と技術進歩が必要だったのです。 そして大規模小売店舗法は、中小小売店がスーパーの出店を妨害し、遅らせ、計画を縮小させる戦いの場となりました。届出制であったのに、「地元の同意が取れるまで届出を受理しない」という運用をしたため、地元の中小小売店(の団体)が抵抗しやすかったのです。百貨店はこのころには高級品の店として毎日の買い物からは後退しており、紛争の主体となったのはスーパーマーケットでした。 逆に、いったん出店を認めてもらえれば、次の競争者は入ってきません。むしろ、近隣の中小小売店を応援してライバルの出店を妨げることも出来ます。大型小売店どうしの競争は、むしろこの制度によって妨げられました。 1988年になると、アメリカが日米構造協議の中で、消費者が輸入品を買わない原因のひとつが大店法による規制だ、と主張しました。積極的に新しい商品を仕入れる小売店が、国内メーカーより安い商品を探そうとしなければ輸入品の販売は伸びない、というわけです。従来通りの取引を繰り返すぎりぎりの資源しかない中小小売店に、新商品を探す企画力はないだろうと。 これで流れが変わり、大店法は緩和改正や運用変更を経て、2000年に廃止され、[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H10/H10HO091.html 大規模小売店舗立地法]に切り替わりました。新たな法律では、地域住民が建設計画変更を求めるための理由が厳しく制限され、競争すると負けそうだから、といった理由では反対ができなくなりました。 *[参考]出店攻勢、有利子負債、経営危機 出店規制の緩和は、大規模小売店同士の競争時代の幕開けでもありました。1980年代までは有利子負債を負って店舗増加を進めれば、出店した店舗からの利益で利子を払いながら(利益が削られますが、それだけ法人税・事業税の負担も減るので)企業を成長させることができました。こうした構造は、出店が利益に結びつきにくくなるにつれ崩れていき、有利子負債を圧縮できないチェーンは経営危機に陥りました。マイカルの経営危機(イオンによる支援)はその典型です。 *中小小売店は誰と競争しているのか 戦前にスーパーマーケットが広がってしまったのであまり知られていませんが、アメリカのスーパーマーケット台頭前の人口当たり精肉店や青果店の数を調べてみると、同時期の日本とそんなに変わりません。大正時代の日本人の食生活を調べた記録や、極初期の家計調査などと照らし合わせると、「日本人はじつは副食にあまりお金をかけていなかった」というのが戦前の実態。米ばっかり食ってたんです。刺身なんてのは贅沢なもので、干魚など加工した魚が主体でした。「日本人は新鮮志向だから食料品店が零細多数なんだ」と書いてある本もありますが、じつはアメリカに比べて飛びぬけて多かったのは菓子店でした。支出に占める菓子の比率も、現代日本より高めでした。 統計上はずいぶん昔から「菓子・パン店」とひとくくりに集計されていますが、実際私の小さいころのパン店は、ちょっとした菓子の棚も持っていました。日本の菓子店と言うと「子供のたむろする駄菓子屋」というイメージがまず思い浮かびますし、間違いではないと思いますが、おそらくもうひとつ重要な顔がありました。それは「軽い昼食店」。今でも中学校・高校で売店のパンはよく昼食にされると思いますが、「おやつ」とは午後2時のこと。つまり昼食なのです。駄菓子の中には、腹のふくれるものが多いですよね。この役目が菓子パンに引き継がれていたんじゃないかと思います。 小売店商店数が一番多かった商業統計は1982年調査ですが、それより以前から、戦後ほぼ一貫して菓子・パン小売業の商店数は減っていました。おそらく彼らの重要なライバルは、ファーストフードチェーンです。日本の昼食が多様化し、しっかりとした食事になっていくにつれて、昼食用の需要がメーカー品を並べただけの菓子・パン店から、飲食店やテイクアウトランチの販売店、そして自社の窯を持つ本格的なベーカリーに流れていたのです。1970年代以降は、コンビニエンスストアも重要なライバルに加わっていきます。 少し上に書いたように、スーパーマーケットが最後まで扱いに苦心したのが生鮮食料品でした。荒物店や乾物店は生鮮食品店より少し早く減少に転じます。単一のものしか売らない多くの中小店が、ひとつのスーパーマーケットに置き換えられると商店数はガクッと下がるでしょうが、置き換わりの様子を統計数字から直接読み取ることは困難です。 1980年代になると生鮮食料品店(精肉・青果・鮮魚)も減少してきますが、米穀店・酒店・薬局薬店は規制によって、大型店が兼営することが困難でした。また、再販制度に守られた書店・CD店は価格競争が出来ず、大型店の競争上のメリットが比較的小さい業種でした。しかし日米構造協議以降、スーパーにも、そして最近では(酒店から転換しなかった)コンビニにも酒類販売免許が下りるようになり、書籍・雑誌・CDのリリース点数増加が中小書店やCD店に対応できなくなり、売れ筋商品がコンビニで扱われるようになると、これらの中小店も収益源を失っていきました。 *中小店と中小店舗 大手チェーンが中小規模の店舗をもつことを規制する法律はありません。また、コンビニチェーンのほとんどは、個人がチェーン本部とフランチャイズ契約を結び、マークなどを借りて店舗を経営するフランチャイズ方式を原則としています。中小小売店にできることのほとんどは、大手チェーンの中小店舗やフランチャイズ店にできるのです。 逆に、中小小売店でも、提供されたサービスを組み合わせ、利用することはできます。例えば宅急便やeコマースサイト構築ソフトを利用すれば、インターネット店舗を開くことは(規制のない業種なら)できます。 コア・コンピタンス(競争力をもたらすもの=他より自分が優位に立ち、顧客に自分の店やブランドを選ばせる理由となるもの)が何であるか、冷徹に考えていくことが必要でしょう。そして、優位はあくまで相対的なものですから、現れたり消えたりすると理解することも大切です。 === 社会主義はなぜ行き詰ったか(非市場的資源配分) === *ソビエト崩壊 社会主義経済(計画経済)にも、ふつう貨幣はあります。しかし生産に必要な資源や労働者を産業・企業に割り当てる作業が政府の計画によって行われ、生産計画に沿って作られた財が店頭に並んだり、割当制で配給されたりします。 ゴルバチョフ政権樹立(1985)から東欧の共産党政権交代、ソビエト連邦崩壊(1991)、鄧小平の声明に始まる社会主義市場経済化(1992)と続く社会主義体制の後退は、政治的な抑圧の限界という側面も大きく、必ずしも経済的な行き詰まりだけで起こったわけではありません。しかしコンピュータやネットワークの発展に乗り遅れ、経済格差が耐え難くなってきたことが市場経済の導入につながった、という程度のことは言えるでしょう。 *行列と転売 市場メカニズムが生産量を調節しないため、政府や企業が設定した価格では、売り切れと売れ残りのどちらかが起き、政治的理由で安く設定された生活必需品は行列で先着順に販売されることが常態化しました。つまりお金を払う代わりに、行列の時間的コストを払える人がより多くの品物を手に入れるシステムになったということです。 皆さんの身の回りでも、似たようなことが起こっているはずです。高額なプレミア価格がつくことが当然視されるコンサートチケットなどを、社会的批判を恐れた主催者がそれより低めの価格で発売し、先着順の販売となることがあります。 転売を目的とするダフ屋が、安い報酬で人を雇って並ばせ、手に入れたチケットを高額で売りさばいたとして摘発されることがあります。 抽選や電話先着順の場合は行列ほど明確に「購入権をカネで買う」仕組みになりませんが、いったんチケットがプレイガイドなどの手に渡った後は、転売目的の抽選参加と自分のための参加を区別することは困難です。最近ではこれを防ぐため、主催者がファンクラブ向けに売ったチケットのシートを個別に記録し、ネットワークオークションへの出品が確認され次第チケットを無効にする、などという取り組みも行われています。席が会場のどのあたりか明らかにならないと、買い手もつきませんからね。 *権限と賄賂 品物を割り当てる「権限」が国や国営企業の担当者に生じることがあります。正規の配給品や販売品を割り当てるほかに、正規のルートに流れる分を減らし、一部をこっそり横流しすることも考えられます。 そうした場合、担当者への賄賂が横行する可能性があります。言い換えれば、権限に市場メカニズムで価格がつくのです。 *非市場的な情報収集の限界-ノルマと在庫- 例えば「注文しただけ買い取る義務」なしに、「この価格ならどれだけ欲しいか」を消費者にアンケートして、その数だけ生産するとします。生産しただけ売れるでしょうか。消費者はいいかげんな数字を答えるかも知れず、実際に製品が届くまでに気が変わるかも知れず、収入の変化や急な支出など事情が変わるかもしれません。生産目標を計画的に決めるとは、単純化すればそういうことなのです。市場メカニズムは、「価格」「買う約束」という最低限の、しかもホンネの情報だけを伝達するシステムで、ある意味で非常に能率がいいのです。そのことがしばしば、残酷に経済力の違いを明らかにしてしまうのですが。 *なぜダフ屋・転売屋は規制しきれないか 「契約自由の原則」についてこの講義の最初のほうで述べました。ダフ屋・転売屋を規制するためには、「認められる取引」「認められない取引」を簡単な基準で区別する必要があります。もし対応を誤れば契約自由の原則が崩され、政府に取引を無効化される可能性が出てきて、経済が混乱するのです。 だからダフ屋の規制は都道府県の「迷惑規制条例」といった条例で行われています。公共の場所でチケットを売ろうと「呼びかける」、あるいは「買う」などの行為が規制されています。 ネット転売自体は「公共の場所」や「公共の乗物」で行われていないのですが、転売目的でチケットを大量に、あるいは反復して購入すると、プレイガイドなどの「公共の場所」で転売目的でチケットを「買った」ことになり、ダフ屋行為が成立します。この理屈で、ときどき常習的な転売者が摘発されています。 [http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/ag10122121.html 東京都 迷惑防止条例(第2条がダフ屋行為)] === 企業の資金調達(1)貸し渋りはなぜ起こる === *効率的市場仮説 例えば「アメリカで株価が下がっている」「外国為替市場で円高ドル安方向に相場が変化した」というニュースは東京証券取引所を利用する株の売り手や買い手にすぐ流れ、東証での株式相場が下落する材料になります。 市場参加者が、取引に関係するすべての情報を遅れずに知り、あらゆる予測を瞬時に修正している、という仮説を効率的市場仮説といいます。 *様々な資金調達手段 企業が資金を必要とするとき、様々な調達方法があります。 **株式を追加発行(増資)します。株式を買った人は企業の部分的な所有者となり、持っている株数に比例した株主総会での議決権を持ちます。利益が上がったとき、株主総会の承認によりその一部を配当として受け取ります。利益が上がらないときの配当は禁止されていますし、倒産したときはまず他の負債を払って、残りを株数に比例して受け取れるだけです。何も受け取れない可能性もあります。 **社債を発行します。決まった年数の後、社債の所有者に元金を返し、それまでのあいだ一定間隔で決まった利子を払います。社債の所有者は、社債を他の人に売るかもしれません。信用のある企業ほど、低い利子で社債を買ってもらえます。 **銀行などから融資を受けます。期間や利子については相談して契約します。 **手形やコマーシャルペーパーを発行します。短期間の社債と考えればいいでしょう。商品を仕入れてから、売れて現金が手元に出来るまで30日、45日といった期間支払いを待ってもらうための約束手形が典型的な手形です。コマーシャルペーパー(CP)は取引とは関係なく発行される手形で、よく知られた優良企業が短期の資金繰りのために発行します。 *資本コストは資金調達手段に関わらない(はず) 政府規制の影響がない効率的な資本市場(資金の市場)なら、それぞれの調達手段についても裁定が働くはずです。例えば社債を発行したほうが利率が低いなら、誰も融資を受けようとはしないでしょう。しかし実際には、情報を得るには費用がかかるので、そうはなりません。 *間接金融と直接金融 銀行などの金融機関は、融資先を審査して、融資して良いか、利率はリスクの大きさに見合っているかを判断します。銀行側の審査の上手下手もありますが、取引が長いほど銀行にとっての判断材料は多いはずです。 お金が金融機関を経由する金融を間接金融、金融機関以外の貸し手が直接社債や株式を買うものを直接金融と言います。間接金融の場合、金融機関の審査によって借り手が評価されます。直接金融の場合、その企業の一般的な評判に加えて、第三者である核付機関に借り手がお金を払って依頼し、公表してもらった格付が貸し手の判断材料になるのが普通です。 実際には、企業の信用(収益性や倒産の可能性)は判断が難しく、判断材料を集めるには費用がかかります。無名の企業が社債やコマーシャルペーパーを発行しようとしても、利率が非常に高くなるか、誰も買ってくれないかです。高い費用を払って格付を受けても、低い格付しか得られないでしょう。 *ぼったくりはあっても貸し渋りはない? さて、貸し渋り現象はなぜ生じるのでしょうか。以上のことを考えると、(正常なビジネスでは利率に見合う利益が出ないほどの)非常に高い利率も含めれば、必ず貸し手はいるはずです。実際の世界では、利息制限法によって、融資で設定できる金利の上限が決まっています。元金の金額によって、15~20%です。借金を返せる見込みが極めて低い相手について、貸し手が合意する金利がこの金利を超えていれば、融資契約は成立しないでしょう。もちろん、実際にこのような利率で融資を受けても、企業自体にも経営者の家族にも遠からず危機が訪れるでしょう。 かなり長い間、日本の土地価格全般は第二次大戦後、1991年ごろまで「上がりはしても下がることはない」のが実態でした。ですから不動産を担保に取っておけば、その価格までの負債返済は確実でした。いっぽう、日本の法人企業(株式会社、有限会社など)のうち赤字を出した欠損企業の割合は、1975年には43%であったものがじりじり上がり、バブル期にいったん減少傾向になったものの、近年では65~70%となっています。 [http://d.hatena.ne.jp/hnami/20081225 もっと詳しい解説とデータはこちら] つまり、以前は企業自体に負債を返す能力がなくなっても、不動産担保があると見れば金融機関は融資してくれましたし、融資すればほぼ確実に元金と利子は金融機関に返ってきました。不動産担保が当てにならない最近では、事業の収益性から返済の確実さを判断する必要がありますが、赤字企業は全般に増加する傾向にあり、経営に行き詰まって融資を返済できそうにないと判断されそうな中小企業の比率は増加していると思われます。 だから、以前に比べて金融機関が中小企業に対して貸し渋りの傾向を持つのは、不動産市場の変化と収益性悪化への警戒感から、金融機関の合理的な行動として説明できます。 新銀行東京は大きな不良債権を抱えました。個々の融資案件についての合理性を問う余地はありますが、「貸すことが合理的でない」状態で、東京都が主体になった銀行として「とにかく目の前の地域企業に貸す」ことを優先すれば、それは採算を悪化させる要因になったでしょう。東京都大田区の事業経営資金融資制度は大田区に相当額の赤字を出すでしょうが、政治的決定に基づく公金支出として間違っているわけではありません。 *貸しはがしはなぜ起こる? しかし、いままで認めてきた運転資金の融資を突然断られるケースはどのように判断したらいいでしょうか。借り手の収益見込みや担保価値に大きな変化がないのに、今までの融資分を突然返済するよう迫られる「貸しはがし」は頻繁に起こったようです。 金融機関の自己取引による損失、新たな借り手、引当金の問題などが要因として考えられます。順に考えて行きましょう。 銀行は融資はしても、株式市場での投機は本業ではありません。また、証券会社は顧客の注文を取り次ぐのが本業で、証券会社自身の勘定で株取引をするのは本業ではありません。しかし、デリバティブを販売するためにその元になる金融商品を保有する必要が生じたり、地方に優良な貸付先が見つからなかったりして、金融機関は世界同時株安で大きな損失を出しました。特に、地方銀行の損失は(メガバンクほどの損失額ではないとしても)経営に重大な影響を与えることが懸念されています。 [http://www.business-i.jp/news/kinyu-page/news/200812090013a.nwc 地銀109行、有価証券損失1665億円 中小向け融資に悪影響懸念(「FujiSankei Business i.」2008年12月9日)] 銀行はバーゼルIIなどの自己資本比率規制をクリアするために、株安などで自己資本が減ったときは、それに合わせて融資のほうを削らないと業務が続けられなくなってしまうのです。 同様に、コマーシャルペーパーが発行しづらくなった大手企業が銀行などに融資を求めてきた場合、自己資本比率規制をクリアし続けるためには、どこかの融資を減らさないといけません。これが貸しはがしの一因になっている、という主張もあります。 引当金の問題はもっと複雑です。金融機関は融資相手を貸し倒れ(融資が回収できなくなること)が起こりそうな程度によって分類しています。そしてその分類ごとに、最近の貸し倒れ発生率を参照しながら貸倒引当金を積みます。これは「回収できなくなりそうな額」をあらかじめ資産から差し引いて「引当金」として別に取っておくものです。 融資をやめて貸倒引当金を取り崩すと、(無事に損失を出さないで)取り戻した引当金の分だけ、銀行の当期利益が増えます。収益的に追い詰められた銀行は赤字を切り詰める決算対策として貸しはがしを行うかもしれません。 よく「貸倒引当金を積んだ分は銀行の資産に数えられないので自己資本比率を悪くする」と書いてある文章がありますが、Basel II規制のもとで計算される自己資本比率は財務会計上の自己資本比率とは定義が違うので誤解です。以下に挙げる長い名前の金融庁告示によると、自己資本は資本金などの項目を個別に積み上げて算出するので、引当金を差し引くことはしません。 [http://www.fsa.go.jp/policy/basel_ii/01.pdf 銀行法第十四条の二の規定に基づき、銀行がその保有する資産等に照らし自己資本の充実の状況が適当であるかどうかを判断するための基準(平成十八年金融庁告示第十九号)] 一般貸倒引当金は自己資本の補完的項目に含めることができますし、返済が延滞した貸し出しについて、その案件に対する個別貸倒引当金が積んであると、積んでいない場合よりも分母を小さくできるので、自己資本比率は改善します。(金融庁告示第71条、第72条) ただし、貸しはがしがBasel IIに基づく自己資本比率を改善することは事実です。分母も「資産の部の総額」ではなくて、これまた定義が長いのですが不正確さを恐れず短く言うと「リスクを持つ資産の総額」だからです。現金はウェイト0%なので分母に含めず、法人向けエクスポージャー(融資)は100%なので融資額をそのまま自己資本比率の分母に含めます(金融庁告示第55条、第65条)。貸しはがしで現金を取り返すと、自己資本比率の分母が減るのです。 だから自己資本比率が基準ぎりぎりのときは、銀行は問題のない貸し先であっても、いくらか貸しはがしをする誘因を持ちます。経営者にとってはまだまだ頑張れる状況なのに銀行は自己資本比率改善を優先して融資を切る、などということが起きるのです。 *公的資金注入と貸しはがし 自己資本比率規制は、名前も知らない銀行と取引が生じる国際取引に参加するために、とくに不可欠となる規制です。どこの国でも確認できる数値指標で、その銀行のつぶれにくさを確認するためのものなのです。取引対象が世界に広がったことのひとつの副作用、と考えることもできます。2008年9月以降のアメリカの新聞を見ていると、日本なら貸しはがしと呼ばれそうな突然の融資拒否が問題になっています。 上記の貸しはがしは、銀行の自己資本が大きくなれば緩和されます。日本政府をはじめ各国政府が銀行への資本注入(株券を発行させて買う)に踏み切ったのは、自己資本を増額させるためです。 公的資金注入を申請する銀行は、経営に不安があると市場から見られて株価下落などが起こることを心配します。ですから一定の基準を設けて、政府が一律に資本注入することもあります。 2008年夏以降、比較的経営体力のある金融機関がいくつか、自ら社債(国際的な規制の中で自己資本に算入できる、特殊な形式のもの)を発行して自己資本を(数年のあいだ)増やしています。 しかし、公的資金注入は上記の貸し渋り(中小企業の収益力への厳しい見通し)に対する対策にはならないでしょう。 === 企業の資金調達(2) 世界とつながるメリットとデメリット=== *国際基準の足かせ(バーゼルII) 前回の講義で述べたように、バーゼルIIまたは新BIS規制と呼ばれる、国際的な業務に参加する銀行が守るべき自己資本比率規制は、貸し渋りの背景であり、貸しはがしの原因になります。国際取引へ参加する門戸を発展途上国の銀行などに開いておくには、形式的で明確な参加資格を定めることが必要です。ここでは、市場参加の機会を確保しておくことに、経済的というより政治的な意味があると考えるのが分かりやすいでしょう。 *ヘッジファンド問題 1997年のアジア通貨危機や、英ポンド危機において、ヘッジファンドと呼ばれる類型のファンド(個人やチームに運用を任された、巨額の金融資産)が国際金融のプレイヤーとして注目されました。 2008年(9月の問題が起きる前)には、業界雑誌の推計によると、1兆円以上のヘッジファンド資金を集める企業は60社ほどありました。ただし、ファンドは細分化されることが普通で、マネジャーへの運用報酬ランキングから考えると、1兆円以上を個人で動かせるファンドマネジャーは世界で数人だと思われます。そしてヘッジファンド自体、年金ファンドなど他の機関投資家に比べれば、量的には大きな存在ではありません。 [http://www.iimagazine.com/Rankings/rankingsHeFu100RGlobal08.aspx Institutional Investor: 2008 Hedge Fund 100] ただしこれはあくまでも、世界の金融資産に占める比率の話です。ひとつの国に集中的な売り買いが入れば、資産相場を乱高下させてしまう可能性はあります。それぞれの国には少なくとも、その国から逃げ出すことが出来ず政治的要求を突きつけられた、政府や中央銀行というプレイヤーがいます。それらが足元を見られ、不利な取引(市場介入)を強いられる可能性はあります。 *投機の規制と取引自由の原則 何らかの誤認を誘う取引は、金融商品取引法や証券取引法に基づいて不正行為として摘発できます。しかし「本気の投機」は多くの場合防ぐことができません。例えば売り手役と買い手役が共謀して高値や安値の取引を成立させることは、他の市場参加者に相場を誤認させるので違法です。しかし巨大な資金を投じ、リスクを負担して買い進み(売り浴びせ)、相場を動かすことは違法ではありません。巨額の資金が動いていることは少しずつわかってくるので、ひとつひとつの取引を後から否定することは契約自由の原則を崩してしまいます。 [https://ez-one.nikko.co.jp/002_9007.html 金融商品取引法により禁止されている取引(日興コーディアル証券)] *実名公表によるけん制 ニューヨーク商品取引所で原油先物価格が最高記録を出した2008年7月、スイスの石油製品商社Vitolが一時期、原油先物取引高の10%を超えていたことを、先物市場を監督する機関CFTCがつかみました。CFTCにできることは、Vitolを実需筋から投機筋に分類変更して、いくらか取引高の上限をかけることだけでした。 ところがこの話はメディアに漏れ(最初につかんだのはWallstreet JournalとWashington Postだったようです)、2008年8月に世界中に報道されました。相場の仕掛け人として注目を浴びることは、ある程度取引をやりにくくしたかもしれません。 [http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008082201000171.html この問題を伝聞として報じた、共同通信社によるニュース。サイト「47ニュース」は地方新聞社と共同通信社の共同運営] === 2008年9月危機はなぜ起こったか === *証券化とリスク分散 値上がりするか値下がりするか分からない資産が何種類かあるとします。それぞれの所有権を100等分して、100人の人に少しずつ持ってもらえば、個々の資産が価格変動しても、損も得もひとりひとりには1/100でしかありません。 個々には値下がりしても、平均すれば収益が上がっているときは、100人でその収益を分け合うことが出来ます。 所有権を100等分するときに、1/100の持ち主(または受益権者)であることを証明する書類を発行し、その書類が示す権利を自由に売買してよいと約束するのが「証券化」です。 貸し倒れリスクの高い不動産担保貸付からの受益権を証券化して、リスクを分散したつもりが、アメリカ全土の不動産価格停滞で一斉に貸し倒れが生じてしまったことが、サブプライム危機の発端でした。2006年に不動産価格の伸びが鈍化を始め(決して、大きく下がったわけではありません。上昇予想が実現しなくなっただけで決定的でした)、2007年になると大手不動産金融企業の倒産が起こり始めました。 *原油・穀物バブル 不動産証券や、この変調を見て値上がりの止まった株式市場から逃げ出した資金の一部は、原油市場・小麦市場・トウモロコシ市場などに流れ込み、暴騰を引き起こしたと言われていますが、もちろん資金の移動を証拠立てることは困難です。これらの市場で暴騰が起こったことだけは事実で、小麦粉やガソリンの価格上昇を読者の皆さんも何らかの形で体感したと思います。 経済学でバブルと呼ばれるのは、「自己実現的な期待」です。値上がりが予想されるあいだ、それを保持したほうが儲かるので買い手がつき、買い手がつく間は実際に上昇し、予想が実現するのです。それが実需(実際にその価格で小麦を消費したいという欲求)であるかどうかは問題ではありません。誰かが買うなら値上がりする。値上がりするなら誰かが買う。それだけです。 ニューヨーク原油先物は、2008年7月には2006年末の2倍半に近い価格をつけ、以後下落に転じました。反転のタイミングを何が決めたのか、はっきりとはわかりません。2008年7月にアメリカ証券委員会(SEC)が、下落不安のあった金融株を対象に、空売り(株を持っていないのに一定価格で将来売る約束だけすること。その価格を下回って下落したときは、その値段で買ってすぐ渡せば差額を手に入れられる)を一時的に規制しました。そのことが直接間接に影響したとも言われます。大山巌氏が解説する要因のほか、禁止されていない銘柄や手段の空売りもSECに注目される懸念があって、原油先物買い・株式先物売りの組み合わせが取りづらくなったとする解説もあります。 [http://diamond.jp/series/stock_market/10033/ 原油先物が急反落! 市場で囁かれる3つのワケ(大山巌) 2008年7月30日 DIAMOND Online記事] [http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/080716/fnc0807161853015-n1.htm 空売り規制強化へ 米SEC金融株急落に緊急命令(MSN産経ニュース 2008年7月16日)] 一般には、バブルを止める根本的な要因は、価格の高さです。これ以上上がるという予想が誰にも持てないほど高くなれば、バブルは止まり、崩壊します。このころの価格は、もうそうした水準だったのかもしれません。 *誰も総額がわからない 国際的に資金移動を行うファンドは、しばしば世界各地のタックスヘイヴンに名義上の本拠地を持っており、細分化したファンドをファンドオブファンドとして少しずつ所有しています。これはリスク分散としては正統的な投資態度ですが、「誰がいくら損したのかわからない」という副作用があります。倒産可能性をめぐって、ファンドや金融機関が互いに疑心暗鬼に陥ると、それをくつがえす根拠は誰にも提供できません。ひとつの規制当局が全体を監督している国内市場と、これは根本的に異なる点です。 *世界的な貯蓄と投資のアンバランス 貯蓄が投資を上回る国は、差額を外国に投資する余裕があります。アメリカ国債や政府機関債の相当部分は外国資金が買っており、平成20年度 年次経済財政報告書によるとアメリカの対外「純債務残高は約300兆円に達している」(p.24)状態です。 [http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je08/pdf/08p01021.pdf 平成20年度 年次経済財政報告書 第1章第2節 特に第1-2-2図] 近年、主に中国・中東の貯蓄余剰がアメリカに注ぎ込まれていました。この間、アメリカ政府はイラク問題で巨額の予算を費やしており、もちろんアメリカ自身はその経済的利益を受け取ることはできませんでした。不動産バブルもはじけてしまうと、アメリカに集まった資金は、利子を稼げる運用先を失ってしまいました。この根本的な無理が2007年~2008年の危機に現れた、ともいえます。 中東での貯蓄急増は近年の原油高と運用益によるとして、なぜ中国では貯蓄が積み上がるのでしょうか。 中国の家計貯蓄率を国家レベルで調査した数字は存在しないようです。いくつかの部分的な調査結果によると、家計貯蓄率は平均で20~30%で、日本であれば貯蓄率が下がってくる高齢になっても下がらないのが特徴です。老後や医療の社会保障が充実していないためだといわれます。この数字は日本よりはるかに高いものですが、GDP統計でみると国全体の貯蓄率はもっと高くなっています。そうだとすれば、差額は企業の貯蓄だと考えるのが自然です。国内の企業金融市場が不安定で信用されていないことから、利益を上げた企業が内部留保を積んでいると考えられます。 *[参考]日本には何が出来るのか? 巨額の財政赤字を抱えている政府も含めて、世界の主要政府が次々に財政出動を伴う景気刺激策を打ち出しています。世界経済を覆う不安感を払拭しないと負の連鎖が続くばかりです。 ある意味で、他国の景気刺激策が輸出を通じて日本の景気を回復させることを待つのがいちばん得なのですが、それは世界の恨みを買う行為でしょう。 貯めすぎる中国、使いすぎるアメリカにはさまれて、日本もまたアンバランスな点を持っています。輸出産業が産業の中心でありすぎる、という点です。自国通貨が強くなって青い顔をしているのは、ある意味で妙なことです。これ以上の財政赤字拡大は、ついに国債の日銀引き受けに追い込まれるかもしれませんが、それは強烈な円安材料となって輸出産業を利します。内需向け産業の育成と国際的な需要喚起を兼ねて、ここは財政出動か、消費喚起につながる所得移転をするのが最善の政策でしょう。 === 反グローバリゼーション、保護貿易、ブロック経済 === *反グローバリゼーション グローバリゼーションによって全体として新たな利益機会が生まれているとしても、個人や地域レベルでは、大きな損得の差が生じます。労働集約的な工業や農業を主要産業としてきた地方は、輸入品による所得面の打撃を安い輸入品消費の恩恵が下回り、グローバリゼーションによって損をします。 グローバリゼーションに反発する政治運動を反グローバリゼーションと総称しますが、その内容は様々です。失われた国産品の市場を取り戻そうとする排外的な主張、伝統的な生活様式への回帰、輸出のための自然破壊に反対する立場などが内容として挙げられます。 フェアトレードの項で触れたように、こうした主張は経済格差の固定化につながります。そしてたぶん、グローバリゼーションには反対でも、石油などのエネルギーだけは手に入れたい人が多いでしょう。少なくとも、グローバリゼーションに反対したら近隣の救急車が走れなくなった、という状態を我慢できる人は少ないでしょう。生活の全てを一度に見通すことは、誰にとっても難しいことです。 *保護貿易 自由貿易(グローバリゼーションはその結果)を求める主張は、提案されたが実現しなかったITOにさかのぼれば、昭和初期の保護貿易志向が植民地の少ない日本やドイツを追い詰め、戦争につながったことへの反省に立っています。 グローバリゼーションによって、今まで成り立ってきた生き方や企業のありかたが、持続可能でなくなることもあるでしょう。しかし他国が経済的に繁栄するチャンスを互いにつぶしあえば、昭和初期に逆戻りです。 世界はろくなものではないし、ろくでもない部分がグローバリゼーションによって新たに持ち込まれてきます。しかし市場はそこにあります。皆さんがそれに目をつぶっても、皆さん以外の零細多数な人々と国々が勝手に取引を始め、皆さんを相対的にじわじわと貧乏にしていきます。それならば、市場メカニズムを信奉しない人々も、少なくともそれを理解すべきです。根絶の見込みのない恐るべき社会の病として。皆さんをつけねらうケダモノの群れとして。 [[category:学部学生向け|みくろけいさいかくとつこう]]
ミクロ経済学特講2009
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