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「学位を取る」ことの意味
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社会人学生になられる前に、学びのタイプとレベルについて、自分のニーズに適しているかよくお考えになることをお勧めします。我が埼玉大学経済科学研究科は面接の場から研究指導が始まるという実態があり、ひとり30~40分(2003年までの実績値、将来はわかりません)の面接が一種のセミナーとなって受験料に見合う指導をしてるんじゃないかという、冗談とも本気ともつかない話は部内にあるのですが、受験料を払わなくてもできることは、払う前に済ませて頂くことをお勧めします。 経済学教育には大きく分けて、三つのタイプがあると思います。 ひとつは、特定の仕事を「習う」こと。私の担当で言うと、ミクロ経済学の学部講義はこれです。資格のための勉強、ビジネススクール・専門職大学院(法科大学院を含む)などはこれです。こういうものは体系に沿って勉強するもので、「楽しく」勉強しようとするとどこかゴマカシが入ります。例えばはっきり法律で決まっていることを無視して「私はこう思う」などと語り合ってもそれは床屋政談です。 ふたつ目は、我が経済科学研究科の修論指導が典型ですが、「答えのない問題を考える」「誰も見たこともない問題を考える」ための勉強です。これが欠けると、経験と勘だけで理屈も何もなく現実問題に取り組む羽目になります。ひとつめのタイプの勉強は、「先例のない」問題への答えを与えてくれません。ただしふたつめのタイプの問題については、答えは実務者が現場で出す他はなく、大学スタッフはそれを支援することができるだけです。先例は状況を整理する役に立ちますが、時間を掛けて話し合わないと、先例、法などのルール、すでに知られたパターンと、皆さんの直面する問題の対応がつきません。「問題を整理する」ことがこうした勉強の中心になります。「問題によって答えは変わる」ものなので、「答えの出るような整理のしかたをし、どこをどう整理したか自分で理解・納得する」のです。 そして最後は、正解を出そうとすることそのものを放棄して、純粋に楽しくわいわいと話し合うニーズです。単位制度と関係のない公開講座はこういった雰囲気になりがちで、楽しい=盛況/満足=成功という捉え方が一般的です。これはこれでいいのですが、単位制度のもとでの学習と一度にやろうとすると、良い評価を目指して勉強する人のニーズと相反する面が生じます。「何をやったかと聞かれて、楽しかったと答えるしかなく、またそれが重要だと考えている」からです。 学部レベルの方法論(例えば統計数字の読み方)ができていない場合、一般的に言えば、ふたつ目の勉強は浅いものにとどまります。特に金融・財政のような、データに基づく既存研究が分厚いテーマを選ぶなら、既存研究や方法論を知らないではすまされません。逆に、データの全くない新しい産業や、特定企業内問題を扱うなら、難しいことを習ってみても適用できるデータが無く、結局折れ線グラフ以上の数学は使わない、ということになるでしょう。こういう意味でも、あなたが自分のテーマについてどれだけわかっているか、どれだけ下調べをしているかが、例えば修士2年間に修士論文がまとまる確率を大きく変えます。 ですから、「私は修士課程の受験資格があるから修士に行く」という考え方が適切なこともあり、適切でないこともあります。「学位を取る」という「格好」は人生にとって大切ですが、もっと大事な「時間」を空費する結果を防ぐために、学部・修士・博士、またその中の大学・課程による個性を考えて、学部に入ることが適切ならそうすることをお勧めします。そのさい最も大切な判断材料は、あなたの能力ではなくて、あなたの持っているニーズのタイプです。
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