国立大学法人法案について
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2008年12月13日 (土) 10:06の版
5年ほどほったらかしている間に、どうもページ凍結(初期型のwikiでは管理者が編集を「凍結」することが唯一の改変防止手段)をかけ忘れていたらしく、よりにもよってこの微妙なタイトルのページだけいたずらで中身が消されていました。国立大学法人法案成立1週間前、という非常に微妙な時期に書いたものです。改変を受けたのは2008年に入ってからなので、別に並河の言論を封殺する意図も効果もなかっただろうと思うのですが。
何を今さらな話なのですが、当時何を書いていたかはだいたい覚えていますので、2008年の今日から振り返って少しだけ書いておこうと思います。
当時、国立大学法人法案への反対論は主に「教育・研究環境が悪くなる(予算を削ることを前提とした国からの切り離しだ)」というものでした。それに対し、私立大学関係者からは「相対的に少額の私学助成を分け合う我々から見れば、潤沢な予算を背景に教員当たり少数の学生を教える国立大学は民業圧迫で、同じ条件で競争させろ」といった意見が聞かれました。
アメリカの大学は、1960年代に大学進学率が行くところまで言って大学余りが始まったとき、「qualityとequalityの両立」などということを言いました。ちょうど[公民権運動]の盛んな時期、そしてアメリカの経済力が最高潮に達した時期と重なって、地方自治体が大学の経営をバックアップし、公費で安い高等教育を誰にでも提供しようとしたのです。もちろん、こうした地域住民のための大学には研究予算も設備も望めません。教育機会を与えることが最初から最優先されているのですから、入試も緩く、それぞれの科目ごとの単位認定を厳しくしてクオリティを保つほかありません。GPAが一定値を下回ったら退学ね、というルールもこうした状況を背景に広まったものだと思います。
これは(アメリカには国立大学が事実上なくて州立大学以下ですが)公立大学にひとつの明確な役割を割り当てています。そうしておいて、州立大学の中でも序列化をして、州立高校で特に優秀な成績をあげればUCLAやUCBやUCSDに、その次のグループはCSUに、といった入学資格を与え、上位の大学には優秀な研究者と研究環境を整える、などということをしているのです。
日本では、そうした方向の議論が出来ないままでした。
いったい国立大学が国民や社会に対してどんな役割を果たすのか。国立大学の側でその議論も、まして提案も出来ないまま、現状を守れというアピールばかりが先行したのは、国立大学のスタッフとして有権者の皆さんに申し訳なく思う。そういうことが書いてありました。
まあ国立大学といっても、上のほうと下のほうでは思惑も事情もまったく違います。「国立大学」というくくりで何か発言することが無理だった、ということかもしれません。
当時は「[大学全入時代]が到来する」ことが避けられない事実と思われていました。実際に起こったことは、学力崩壊というより、学力分散というべきものでした。少数の学生は相変わらず抜きん出て優秀である一方、学力・意欲・生活習慣など様々な面で大学生活への不適応に陥る学生も目立つようになりました。
埼玉大学経済学部は1年生終了時、2年生前期終了時で全学生の取得単位数を数え、非常に少ない学生に対してはプレゼミ指導教員などが面談へ誘い、何とかなるものであれば相談に乗るようにしています。そして、基本科目やプレゼミを通じて、基礎的な学力とコミュニケーションを身につけてもらうことに大きな資源を割いています。そういうふうに明文の方針を定めているわけではありませんが、「普通の大卒者として卒業することを助け、普通の社会人としての能力を伸ばす」実践をしていると言っておけば、だいたい当たっているでしょう。
その間、他の国立大学と同じように予算は削られ続け、受講登録システムをめぐる不満のように、カネがないことから来る問題が顕在化し始めています。結局、会議で決まったことはそれほど増えていないのですが、教員が共有する実践体験は積みあがって、経済学部っぽい教育はだんだんはっきりして来たと感じます。