人脈は資産ではあるけれど

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最新版 (2008年12月13日 (土) 08:29) (ソースを表示)
 
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最新版

 私は時々、ノートの貸し借りはむしろ自由に行うように、学生さんをけしかけています。昔の大学生は単に遊んでいたのではありません。それなりに人のネットワークを作ってノートを確保し、土壇場の一夜漬けであっても日ごろの不勉強を取り返す算段を整えてから遊んでいました。講義内容と全然関係のないことが書いてある答案を見るたびに、最近の学生さんはどうも人付き合いが苦手らしいと思っていました。

 ところが、どうももう少し根が深いらしい、と思い始めたのは最近のことです。

 バスに乗り合わせた学生さんが、見も知らない学生から一方的にノートを写させてくれと頼まれて、困惑すると同時に腹が立っている、とこぼしていました。詳しい状況はわかりませんが、これはやはり頼むほうに無理があるでしょう。ギブ・アンド・テークの欠けた頼み方に無理があるともいえるし、学期末になるまで人間関係を確保しなかったところに問題があるともいえます。

 知り合いを増やしておくことが社会人としてのチカラであることは確かですが、単に顔を知っているだけでは役に立ちません。「人脈」として生きる付き合いにしようと思えば、何か共有するもの、交差するものがなければなりません。

 人付き合いの下手な子供で、親から高価なおもちゃなどを買い揃えてもらって、それを人寄せにして友達と付き合ってもらっていた友人が、誰の記憶の中にもひとりやふたりいると思います。逆説的ですが、人と付き合うためには、自分の世界が要るのではないか、と思うのです。それがおもちゃやコンピューターやゲームソフトであるより、もっとオリジナリティのあるものであったほうがいいに決まっていますが、どんなものにもコレクターはいますし、それなりの意味で道を極めるということはあるでしょう。私の友人で、バーチャロンやオラトリオ・タングラムのプレイヤー仲間どうしでおつきあいをしている人たちがいますが、あの人は何県大会で何位に入ったフェイ使いだ、などと尊敬されている人もいますし、パソコンの通信設定で頼りにされている人もいます。

 仲間ができるというのは、その中で居場所を占めるということなのだと思います。他人から一方的に拍手されることよりも、自分がいたほうがいいのだ、と自分で思えることが大事です。年をとってくるほど、その思いは強くなります。

 私の指導教官であった京都大学の西村周三先生が、あるとき酒席で私たち学生に向かって、「君らは、仕事と芸と幹事のうち、どれかふたつができんといかん」とおっしゃいました。もちろん私たちは即座に「芸と幹事ができたら、仕事はできんでええんですか」と問い返しました。先生がうなずかれたという話を、あとで私の叔父(当時、定年のちょっと前)にしたら、「たしかにいますなあそういうのが」と笑っていました。

 絵が描ける人、パソコンの設定に詳しい人などというのは、まあ芸のうちでしょう。幹事というのは気配り、細かい手配、異常への対処といったものを代表させておっしゃったのだと思います。私が初めて飲み会の幹事をやったとき、割り勘の端数をどうするのか、と真剣に考え込んだことを思い出します。

 私の父は畜産関係でちょっとえらい人でした。大学生のときその出張に家族でついて行って、日本でいうと農水省畜産局長に当たるような、某国の偉い人に会ったことがあります。驚いたのは、その人が私にも私の父にも同じように愛想がいいことでした。もうこれは習慣なのだな、日ごろからこういう姿勢でないと、とっさのことで大事な相手に失礼なことをしてしまうのだろうな、と感銘を受けて帰ってきました。感銘を受けただけで、私自身の礼儀正しさというのはどこかへ吹っ飛んでしまいましたが。

 他人から拍手を受けることは重要でなくても、他人に拍手をしてあげることは重要です。この種の暖かい言動が自然に取れる人は、近年とみに不足しているようです。それもまた集団の中ではひとつの役割であって、包容力のある特定の人を囲む一団ができることは、社会ではよくあります。

 人間を計る物差しはひとつではありません。学生の皆さんは受験戦争の中でそのことを思ったでしょうし、むしろそのことを心の支えにしてきた人もいるかもしれません。しかし自分自身に(自分に有利なものを選んで)物差しを当てて、自分をその方向へを伸ばすように心がけてきた人というのは、案外少ないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、友人のために親におもちゃをねだる子供のほうが、人生というものに真剣に取り組んでいた、といえるかもしれません。

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