取引慣行論

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2008年12月20日 (土) 16:47; Hnami (会話 | 投稿記録) による版
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 かつて並河が担当していた講義のノートです。現在では古くなっている部分もあります。


取引慣行論
2003.3.31版
第1節 危険負担機能/所有権機能
第2節 情報伝達機能(1)下流から上流へ
第3節 情報伝達機能(2)上流から下流へ
第4節 在庫機能・輸送機能
第5節 生鮮食料品の流通
第6節 加工食品の流通
第7節 推奨販売と大衆薬の流通
第8節 アフターサービスの必要な財の流通(家電・自動車)
第9節 流通の多段階性と中間組織-繊維流通
第10節 中間財の流通

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 完全情報を仮定した、教科書通りの市場メカニズムが現実には働かないことの裏返しとして、いろいろな財には、その財に応じた取引慣行がある。市場メカニズムが(部分的に)働かないことの理由は、その財ごとに異なっている。
 この講義の目標は、財の類型化である。似た財の取引慣行の中には似通っている部分がある。その取引慣行はなぜ必要とされるのか。それは財のどの性質と関係があるのか。そうした観察を積み上げて行けば、新しい財の性質から、その財に適した取引慣行や、望ましくない慣行を予測することができる。これがこの講義のテーマである。
いろいろな財の流通は、その財の流通にどのような機能が求められているかによって、決定的な影響を受ける。
 いくつかの機能は、その財固有のもので、比較すべき類似の財が見つからない。しかし幸い、別のいくつかの機能は多くの財について必要とされるので、流通を類型的にとらえることが出来る。
 最初の何回かの講義は、流通段階で誰かが果たさなければいけない機能を列挙することに費やされる。そのあと様々な財について、個々の財の流通の特徴と、財の性質を結び合わせて説明することを試みる。

第1節 危険負担機能/所有権機能


 所有権機能とは、メーカーと消費者の間で所有権を移転する機能である。その裏返しに、代金を払う義務も生じる。これに伴い、メーカーと流通業者は様々な形で、リスクを分担している。

商流と物流の分離

 帳簿の上でA→B→Cと売買があっても、実際には財はAからCに運ばれている、ということがよく起こる。所有権の流れと実際の物流が一致しないことを、商流と物流の分離という。
 この場合のBの役目はなんだろうか? まったく役目がなく、過去の取引の名残であるケースもある。この場合のBの取り分はトンネル口銭・眠り口銭などと呼ばれ、過去にAのために取引先Cを見つけてきたことの手数料といった性格を持つ。
 危険負担と集金事務が主な役目となっているケースもある。この場合Bは典型的には総合商社や全国規模の大手卸である。BはCのほかにもAの取引先を多く抱えており、代金振込のための口座を管理したり、伝票を整理したり、煩雑な集金事務をAのかわりに行っている。Aは小口の取引に掛かる事務経費を節約でき、もしCが倒産して代金が焦げ付いたときも、Bに対して直ちに代金を請求できる。
 外国製品が日本で売られるとき、日本に販売のための子会社が作られることが多い。この場合も、日本の小売店への販売促進活動にだけ子会社の社員を使い、集金にかかわる事務は総合商社などの代理店に委託することがある。

メーカーに対する卸の危険負担

例 織物では、親機(おやはた)が製品を企画し、自分で糸を買い、零細な賃機(ちんばた)に手間賃と糸を渡して織物を作らせる「賃織り」の比重が高い。

 例えば、1995年に生産された毛織物のうちで、毛織物として外部に販売されたものは50.4%(布地面積、繊維統計年報)である。残りは賃織りか、または自社工場の一貫生産(織物としては出荷されず、最終製品である衣服として出荷される)である。
 繊維製品の品種によっては、特定地域に賃加工業者が多数存在している。注文する側も注文を受ける側も、そのことによって便利にはなるが、互いに他の取引相手を選べるようになる。
 その織物を使う衣服も、アパレルメーカー(製造卸)が自社工場で生産するほか、下請けに原反を渡して生産させることも多い。
 売れ残りが出た場合のリスクは、親機やアパレルメーカーが負うことになる。売れ残りの売り切り方の上手下手で損益が大きく変わってくる。ただしもちろん、生産システムをフレキシブルなものに変えて、追加生産が短い準備でできるようにすれば、売れ残りそのものが少なくなる。そうした変更には費用がかかるし、販売状況をメーカーがすぐに知るためには小売店とのデータ交換が必要になる。
 いくつかの業界では、メーカーに相当する部分が零細で、卸あるいは小売の方が企業として大規模である。このような場合、研究・開発・企画に関わる費用とリスクを、メーカーでなく流通業者が負担すると、流通業者にとってもメーカーにとっても都合がいい。

 武田製薬、田辺製薬、塩野義製薬などいくつかの大手製薬メーカーは、江戸時代の薬種問屋の製造部門が大きくなって、本来の卸部門を併呑してしまったものである。漢方薬の「メーカー」は概して卸より企業規模が小さく、化学工業でもある近代的な製薬業に投資できなかったのである。大手の卸が一部の取扱商品について自社ブランドを持っていることは、いろいろな産業で見られる。
 ファッション性の強い衣服のように、流行のサイクルが極めて短い産業は、小売業者が生産に関する意志決定権を持って、すばやく市場動向に対応できると有利である。

返品制度(小売に対するメーカー・卸の危険負担)

 いろいろな消費財で広くみられるが、契約上明記されているものは少ない。
 返品分の仕入代金はメーカーが負担することが多いが、物流経費は卸の負担となる。
 日本独自の慣習と思われているが、特定の産業(例えば店売りの新聞)については、世界各国で広く見られる。ただ契約に明記することなく、いろいろな産業で見られる点は日本の特徴である。
 アメリカにはサービス・マーチャンダイザー(ラック・ジョバー)と呼ばれる業種がある。これは一種の卸であるが、主にスーパーマーケットの非食品売場の品ぞろえを任され、そのかわり売れ残った分の返品を受け入れる。

 アメリカでは一時、コンビニチェーンが競って店舗内でのレンタルビデオ事業に進出した。このとき多くのチェーンでは、このラック・ジョバー方式を取って、専門業者にビデオの配給を任せた。(川辺信雄「セブン-イレブンの経営史」、p.278)
 季節商品(ギフト用食品詰め合わせ)、ファッション性の高い衣服、再販制度により小売店が値下げできない製品(本、医薬品など)に典型的にみられる。
 容量交換・他の製品との入れ替えなどとして処理されるケースも多いため、返品に関する正確な統計はほとんどない。

消化仕入・委託契約

消化仕入-実際に売れた分だけを仕入れたことにすること。返品した分は最初から仕入れなかったのと同じ。
委託契約-小売店に売るのではなく預ける、というかたちの仕入。売れたときはじめて小売店に代金支払の義務が出来る。
 どちらもデパートの仕入に多い。デパートはこれによって売れ残りのリスクをメーカーや卸にすべて移転できるが、逆に価格決定や品ぞろえに付いてメーカーの言いなりになる面もある。

押し込み販売・セット販売-メーカーに責任のある返品

押し込み販売 返品を許容してとにかく製品を小売店に置いてくれるようメーカー・卸が頼むこと。決算が近いときの売上の帳尻合わせなどに多い。
セット販売 メーカーが自社製品の詰め合わせセットを用意して、セット単位で仕入れさせること。セットのなかで売れなかった分は返品される。書籍などが典型的。
 メーカーが季節商品をまとめて作り貯めているため、結果的に返品されても小売店に置いてもらったほうが倉庫代が助かると考えて、早期大量搬入に積極的になるケースもある。
「安売りされるくらいなら返品してくれたほうが市場価格全体が下がらない(ブランド内競争が弱まる)ので有利だ」と考えるメーカーも多い。
 返品は大規模小売店の横暴のようだが、これがないとブランド力のない新しいメーカーは製品を仕入れてもらえないかもしれない。ただし新しいメーカーにとって返品を受け入れることは唯一の選択肢ではない。新製品の導入時期に限って、大手チェーンへの仕入れ価格を思い切って低く設定する例もあると聞く。

返品問題と製販統合

 返品をしないこと、または一定比率以内に抑えることは、メーカーと流通業者の価格交渉において値下げのための交渉材料となることが多い。メーカーによっては、返品率に応じてリベートの率を変える例もある。(例えば「流通経済の手引97」p.118-119)
 ここから一歩進んで、小売店側が常に最新の状況を提供し、発注量を責任を持って買い取る代わりに、メーカーは急な発注に応じるための投資をする、といったメーカーと小売店・卸の協力関係が、衣料品など様々な産業で模索されている。

 ジャスコは大手書籍取次店(卸)トーハンに販売実績データを供給する代わりに、要求する売れ筋本の配本率を高め、かつ返本を減少させるという協力体制に取り組んでいる。(「流通経済の手引97」p.71)
 市場の要求に即応するために、特定のメーカーと特定の小売店が結びついて相互に投資することを指す最近のキャッチフレーズが、製販統合である。製販統合の内容は様々だが、情報化社会の到来によっていままでよりも複雑な情報交換を基礎とする関係が結べるようになったため、この方向への模索と発展は当分続くと思われる。

第2節 情報伝達機能(1)下流から上流へ


 流通活動を通じて、消費者に関する情報(なにをどれだけ欲しがっているか)は生産者に送られ、生産者の情報(宣伝や使用法の説明)は消費者に送られる。この活動は流通業者の活動の中で大きな比重を占めるようになってきたので、商流・物流に加えて情報流という用語を多くの経営学者が好んで使う。

POS(販売時点情報管理システム)

 自動読みとり装置を使い、単品ごとの売上の情報を、コンピュータを使って集積し、経営に役立てるシステム。
 商品に付いているバーコードを、レジスターと連動したPOS端末で読みとる。店にはストア・コントローラというコンピュータが1台あって、商品の価格や商品名の一覧表(商品マスター)を持っている。POS端末からバーコードが数字化されて送られてくると、ストア・コントローラはマスターを参照して商品名と価格を答え、POS端末はレシートを印刷する。
 ストア・コントローラには、何がいつどれだけ売れたか、という情報が蓄積される。この情報はチェーン店の本部のコンピュータに集められて、売れ筋商品・死に筋商品が瞬時に把握される。
 死に筋商品(売れなくなった商品)はできるだけ早く新製品と交替させられるので、棚の効率的な利用が出来る。それ以上の販売データ活用は現在ではまだ難しい(活用されているのかもしれないが、そこのところが各チェーンのノウハウであろう)が、例えば次のようなものがある。

 弁当の売り切れる時刻が分かるので、あと何個用意すればいいか予測する手がかりが得られる。店のロケーションによっては、特定の時間帯だけ人通りが増える場合があるので、それに合わせることが合理的である
 同時に買ってゆかれる商品の組み合わせが分かる。同時に売れる商品同士を近くに並べれば、消費者がその商品を買う用事を「思い出して」くれる確率が高くなるだろう。
 クレジットカードの信用情報のやりとり(そのカードが使用停止になっていないかのチェック)などにも使われる。
 バーコードにはJANコードと呼ばれる統一規格があって、国・メーカー・メーカーが決めた商品番号が書き込んである。しかし新製品を商品マスターに登録することは大変な労力なので、中小小売店ではなかなか使いこなせないと言われる。
 生鮮食料品は、卸が包装するときバーコードのついたシールを貼っていることが多い。メーカーがバーコードを自分で付けることをソースマーキング、生鮮食料品のように流通業者が付けることをベンダーマーキングという。
 メーカーがJANコードに従ったソースマーキングを行うようになってから、バーコードによるPOSが急速に普及した。

EOS(自動補充発注システム)

 電話回線や専用回線を使って、コンピュータ同士のやりとりで製品の補充を注文すること。チェーン店の本部に、各店のコンピュータから商品の発注データを集め、本部から一括して注文することも多い。これによって人件費の削減と発注の正確化が期待される。
 現在のEOSはPOSと連動していて、POSのシステムの一部になっていることが多い。どの商品がいくら売れたか、というPOSデータを見ながら、そのシステムの中から発注ができる。在庫の減少を把握して、発注までコンピュータが自動で行うシステムは技術的には早くから可能であったが、発注を後から取り消せるようにしたいとする小売店の思惑などで、なかなか普及しなかった。例えば石井淳蔵・石原武政編著『マーケティング・インタフェイス』(白桃書房)第4章に挙げられた小売チェーンの例では、陳列量がもともと多い反面、補充の判断が難しい特売商品だけは手作業で発注し、定番商品は自動発注とするシステムを取っている。

VAN(付加価値通信網)

 加入者の持つコンピュータの間で、専用線や電話回線を使って情報を交換することを言う。NTTの民営化と歩調を合わせて、民間のVAN運営会社がVANの管理サービスを行えるようになった。
 メーカーと卸、卸と小売店、あるいはそのすべての間の流通VANが注目を浴びている。POSやEOSを共通のものにしてみんなで使う、と言うことである。端末機やシステムソフトウェアへの二重投資を避けることができ、データの広範囲に渡る集計や比較が出来るようになる。これらのデータはのちに述べるリテールサポートのための情報としても貴重である。
 ひとつのメーカー、ひとつの卸が取引先との間で作るものもあるが、複数のメーカーが共同で、あるいは卸の組合が共同で作る「業界VAN」もあらわれている。

VANとCALS、EDI

 VANは固定費用の比率が高いため特に規模の経済性が強く、加入者数が増えると加入者あたりの負担額が急激に減少する。このため主導権争いが激しく、有力な2つの卸がにらみあったまま、なかなか業界VANが動き出さない業界もある。
 従来、価格交渉の余地を最後まで残しておきたいという双方の思惑から、折角VANを張っても肝心の受発注は別ルートという例がほとんどであった。しかしPOSの普及、売れ筋・死に筋の選別強化の流れとともに、単品ごとの利益計算をしたいという要求が高まり、膨大な発注データをネットワークでメーカーに送ることも安くできるようになってきたので、リベートを種類も総額も減少させるメーカーが目立ってきた。これによってVANを使った代金決裁も進むようになってきている。
 互いにデータの形式を共通化しないと、情報交換はできない。従来この性質は、有力メーカーが得意先を囲い込むために利用されることも多かった。これに対して、複数の取引先、あるいはさらに進んで潜在的な取引先すべてとの間でデータの形式を共通化して、業界全体としてのコスト削減を図ることの利点を強調する見方が有力になってきている。CALS、EDIといった最近のキャッチフレーズの指す内容は論者によって異なっているが、こうした「データ共通化」の側面が強調されることも多い。
 逆に言うと、実際の取引において曖昧な表現がまかり通っている場合、いくら機械やソフトが進歩しても、それらのメリットを生かすことができない。様々な業界には予約発注・仮発注・枠契約といった様々な取引用語があって、代金を支払う義務のある確定取引との距離がそれぞれ異なっている。それらが悪いとは一概には言えないが、機械化のメリットの大きさを左右することは確かである。

情報化の影響

 POSであれVANであれ、一般に情報化には固定費用がかかるので、流通業者に取っての規模の経済(取引量が大きくなるほど、単位あたり費用が安くなること)を大きくする。これは流通業者、とくに卸の淘汰・統廃合を加速している。

 大手小売チェーンは、取引卸が同業他社と取引すると自社のデータが漏れるとして、こうした動きを必ずしも好ましく思っていない。(「流通経済の手引97」p.121-122)
 情報化によって膨大な一次データが生み出されたが、これを加工して意志決定に役立てるノウハウはまだ普及しているとは言えず、また理屈では分かっていても訓練された人手をかけられないと言うのが現状である。

その他の需要情報の収集

 店頭での顧客の反応、問い合わせや希望、クレームなどは流通業者を通じてもメーカーに伝わる。
 ダイエーは96年8月中間決算で営業利益が急減したが、これは売り場の人員を削減しすぎたためだ、という意見がある。その意見によれば、売り場の状況から「なぜ売れないか」を分析するための情報まで不足してしまったためだという。(「流通経済の手引97」p.21-22)
 メーカーは自分でも消費者にアンケート調査を行うなどのマーケット・リサーチを行い、需要の大きさや主な顧客層を調べる。
 食品メーカーは、小売店への販売促進や価格交渉を仕事とする狭い意味での営業要員の他に、フィールドマン・フィールドレディなどと呼ばれる別のグループに小売店を巡回訪問させていることがある。この人々の主な仕事は店頭で自社製品の保存温度・賞味期限などが正しく守られているかを調べることだとされているが、他社製品も含めた店頭での売れ行きを直接見てくることも役目だと言われる。

製品開発へのフィードバック

 経済学の教科書では、ある財への需要と供給を考える際、財そのものを改良・改悪する可能性は考えないのが普通である。実際の工業製品では、商品の企画の段階で値ごろ感に合わせた仕様が選ばれる側面がある。例えばラジカセとひとくちに言っても、カセットがダブルカセットのもの、MDプレイヤーのついたもの、CDチェンジャーのついたものは製造費用が高くなるし、カセットのドルビーシステムやメタルポジションを省けば製造費用は安くなる。
 メーカーと小売業者が客層に合わせて共同開発した商品も多い。例えばコンビニで売られている発泡スチロールカップ入りの味噌汁や、ディスカウントストアが韓国メーカーから輸入している安いラーメンなど。自社の望む仕様(材料、包装、味付けなど、製品の満たすべき条件)の製品を外国メーカーに作らせて輸入することを開発輸入という。1985年以降の円高で、卸や小売店の開発輸入が増えている。
 ファッション性の強い衣服は、1回限りしか生産されず、売れ行きが分かる頃には生産が終了しているものも多い。こういった製品は、メーカーが直接販売したり、小売店が流行を見ながら自分でデザインしたものを中小メーカーに生産させたりすることが多い。このような製品では、消費者の動向をメーカーが早く知ってそれに合わせることが何より重要だからである。
 メーカーは、自社製品に対する消費者の反応を常時知っておくため、自分で少数の小売店(あるいはレストラン)を持っていることがある。これをアンテナショップという。

第3節 情報伝達機能(2)上流から下流へ

推奨販売と流通系列化

 医薬品などでは、小売店が消費者に特定の製品を奬める推奨販売(相談販売)が重要である。消費者よりも小売店のほうが製品に付いてよく知っていて、その情報、例えば使い方の説明を受けないとうまく消費が出来ない、という財に多い。かつては家庭電器やカメラもそういう財であった。
 これらは流通系列化の進んだ業界として知られている。メーカーが小売店に自社製品を奬めてもらおうと、店会などを組織して、小売店と特別の関係を結び、取引条件を優遇したり、小売店を援助したりする。
 ただし、カメラや家電のように、推奨販売やアフターサービスの占める役割が低下すると、系列に属さず(全メーカーの製品を扱い)大規模な宣伝と安い価格で競争する量販店が現れて、次第にシェアを高めて行く。
 メーカーが卸を通さず、直接小売店に販売することを直販制という。大きなメーカーが直販制を取っているかと言うと、必ずしもそうではない。また、直販メーカーは、単価や利潤率が大きくて、かつ推奨が大きな影響を与える製品(例えば医薬品ならドリンク剤)を主力にしていることが多い。卸を使うメーカーは、一般的な製品(例えば風邪薬)を大量に安く生産し、卸にまとめて安上がりに配送してもらい、価格とマスコミ宣伝で消費者に訴える傾向がある。

リテールサポート

 現在、卸売業者は大規模小売店とメーカーにはさまれて、その機能を問われている。これに対して卸が模索している方向のひとつが、小売店に対して情報を提供するサービス、リテールサポートである。卸が各小売店から集計したPOS情報を使って売れ筋・死に筋の情報を流したり、プラノグラム(製品の棚への配置表)を小売店の代わりに作ったりするサービスである。しかし小売店の本当に必要とする情報を提供するための試行錯誤はまだまだ続くだろう。
 卸と小売の品ぞろえの幅は同じではない。総合食品スーパーと取り引きしている菓子専門の問屋は、スーパーの菓子売り場を広げるような棚の配置を提案するかも知れない。あるいは、その問屋と取引をしていないメーカーの製品が不利になるようなプラノグラムを組むかも知れない。この小売店からの当然の疑念を晴らすには、卸の品ぞろえを小売店の品ぞろえに近づけるように、卸同士が共同でリテールサポートをすることがひとつの解決だが、異業種の卸が互いに協力すること自体が新しい難問となる。

 「菓子」などひとつのジャンルの納品を一手に任されることを「カテゴリー納品」というが、これができるようになって初めて、卸はその棚面積について小売店と利害を一致させることができる。
 ところで、今まで卸はなぜ同じジャンルの中でも細分化されていたのだろう? これに対する一般的な回答は困難だが、メーカーが卸と特約店契約を結ぶ際、同業他社の製品を扱うことを明文または暗黙のうちに禁じていたためだという説がある。川辺信雄「セブン-イレブンの経営史」p.194参照。
 卸が小売店より情報を豊かに持っているとは必ずしも言えない。卸の持っている売上データは返品や棚卸減耗(盗難など)を含んでいるからである。実際にどれだけ売れたか、というデータは常にまず小売店が知ることになる。コンサルティング会社などが特定分野の売上データを小売店から集計して、メーカーに販売することはよく行われているし、大手小売チェーンも自社のPOSデータを販売していることがある。つまり卸以外にも、「リテールサポート業」の競争相手は非常に多いのである。
 卸が商品選択の上で大手チェーン小売店に与えられる影響力は限られており、かといって零細小売店は卸に取って取引費用の割高な存在である。リテールサポートの対象としての卸の関心はその中間のローカルスーパーに向けられている。

アフターサービス

 高価で修理・取付工事・付属品購入などのアフターサービスの必要がある製品は、価格競争が起こりにくく、メーカーによって流通業者が系列化されやすい。しかし製品が安くなったり、製品に関する知識が消費者に行きわたったり、製品の信頼性が向上したりすると、量販店があらわれて系列店や専門店と価格競争を始め、系列が崩れていく。(カメラ、電器)

第4節 在庫機能・輸送機能


 伝統的には、常に在庫を保有して、小売店の急な要求にも応じられるようにしておくのが卸売業者(あるいは消費者の要求に答える小売業者)の機能とされていた。

 セブン-イレブンを創始したアメリカのサウスランド社は一時期経営危機に陥り、イトーヨーカ堂に買収されて再建に取り組んでいる。その不振の理由はいくつかあるが、利潤率を重視しすぎたこととバーゲンを盛んに行ったことのため、店全体の品揃えが偏って「便利な店」でなくなってしまったことがそのひとつとされる。
 しかし流通業者にとっては、在庫は倉敷料も食うし、代金分の利子の機会費用がかかっていることになるから、減らすべき存在である。また近年、消費者は製造年月日に神経質になるばかりである。そこで、必要最小限の量をその都度注文する多頻度少量配送の傾向が強くなっている。
多頻度少量配送への対応

 倉庫の中から注文品を取り出す自動設備(ピッキングシステム)は、従来のものは大きなケース単位でしか品物を取り出すことが出来ず、それ以下の単位での注文は手作業になり、配送ミスが多かった。バラ発注にも対応できるピッキングシステムには巨額の固定費用がかかる。多頻度少量配送に対応するための卸の投資は、規模の経済を強める。
 小売店側でも、配送トラックが1日に何度もやってくると、伝票が増え、検品(注文通り配達されたか確認すること)の手間が二重三重になる。そこで大手のスーパーやコンビニは、(1)共同配送、(2)配送センター(3)検品省略といった対策を取るようになった。

大手チェーンが製品の種類ごとに「窓口問屋」を指定する。他の問屋は窓口問屋向けに製品を配達し、窓口問屋がまとめて小売店向けに配送する。イトーヨーカ堂とセブン-イレブンが有名である。取引卸が所有するセブンイレブン専用の配送センター群が出店地域をカバーしており、セブンイレブンが新たな地域に出店するときは、そうしたシステムとあわせて進出することになる(矢作敏行『コンビニエンス・ストア・システムズの革新性』第4章)。 
大手チェーンの所有する配送センターに卸が、あるいは直接メーカーが製品を運び、チェーン店のトラックが店ごとにまとめて配送する。卸が運営を請け負う場合もあり、この場合は1に限りなく近いといえる。 
特定の卸との間で、検品手続を省略する。こうした卸は欠品や誤配が少ないという実績をあらかじめ持っていなければならない。これは卸に取って、高機能な物流施設への投資を伴うことがある。有名なのは食品卸の菱食と相鉄ローゼン(相模鉄道系のスーパー)である。これに関連する菱食の活動全体については、宮沢健一編「価格革命と流通革新」p.250-257参照。
 とくに(2)の場合、卸やメーカーは小売店に対してセンター使用料を払う。つまり本来卸やメーカーがやるべき配送の一部を小売店が肩代わりしているため、その分を値引きさせられるのである。卸の持っていた物流機能が小売店に取られてしまうと、卸はその機能を問われることになる。卸は大手チェーンの物流システムとも競争しなければならない。例えばセブン・イレブンほどの大規模チェーンになると、チェーン専用の配送システムといっても小規模で不経済とは言えず、かえって物流の繁簡をきめ細かく調整できたり、管理事務が簡素化できたりするので、低コストで済むと言う(矢作敏行『コンビニエンス・ストア・システムズの革新性』p.120)。

コストの分担

 物流システムと生産システムは、消費者に財を生産し届けるという一連の任務を分担している。一方の負担をもう一方に押し付けるだけでは全体としての費用削減とはならず、全体としての無駄の除去がどこで生じるかを念頭に置いた協力がなければ、最終的な価格低下にはつながらない。

 メーカーの協力によって物流費用を下げる試みとして、衣料品をメーカー段階で陳列可能なハンガーに吊り、そのまま納品する方法や、店の中まで冷凍食品を入れたまま持ち込めるリアロード式冷蔵ケースなどが登場している。宮沢健一編「価格革命と流通革新」p.261-262参照。また、ケースの大きさそのものを小さくして、従来の物流システムの範囲内で少量配送に対応しようとする傾向もある。
 セブンイレブンを創始したサウスランド社は、当初セブンイレブンジャパンのように共同配送への協力を卸に求めた。しかし卸はこれを拒否するか、費用をサウスランドが負担することを求めた。サウスランドは結局、自社の配送センターを持ち、物流機能を自分で持つことになった。川辺信雄「セブン-イレブンの経営史」p.84-90参照。
 当初セブンイレブンジャパンは、窓口問屋を引き受けた卸とそうでない卸の間で明確に取引条件を分けたり、別立てで手数料を払ったりはしなかった。しかし1986年頃より、バラ納品を求めた分とケースで納入された分について、仕入値を変える(当然前者が高い)場合が出てきている。(「セブン-イレブンの経営史」p.202)最近では、窓口問屋が他の卸からセンター使用料を徴収するケースもある(「生・販統合マーケティング・システム」p.173)。取引の集約化はゆっくりと進み、セブンイレブンの1店舗あたり供給業者数は1974年創業時の70~80社から1994年には50~55社に減少した(『コンビニエンス・ストア・システムズの革新性』p.112)。
 少量配送の分には割引を適用しないなど、メーカー側が輸送費用を木目細かく分担させる動きも出てきている(「生・販統合マーケティング・システム」p.111)。

投機原理と延期原理

 マーケティング論の分野で、オルダースンやバックリンといった研究者たちが、投機原理と延期原理というふたつのキーワードを使って、垂直的な意思決定の問題を整理している。
 生産の都合からいえば、一度に大量生産したほうが単価は下がる。言い換えれば、生産量(生産する財の種類も含む)の決定を販売時点よりずっと前に置くと、ある種の費用は節約される。これが投機原理である。これに対して、消費者の反応を見ながら生産指示を追加してゆけば、需要変動からの損失を避け、無駄な在庫や物流を省いて費用節約ができる。こうした(費用節約のための)方針は延期原理と呼ばれる。
 最近多くの産業で、多頻度少量配送など延期原理への傾斜がみられる。これは近年、延期された発注を迅速に生産者に伝える情報処理・通信技術と、それに対応するフレキシブルな生産技術の発達が、大量生産を有利にする技術の発達より速かったからである。

第5節 生鮮食料品の流通


 生鮮食料品の生産者は零細である。流通システムは、生産者保護と物価抑制というふたつの矛盾する政策介入を受けた結果、国や地方自治体の監督下に設置される卸売市場が大きな役割を期待されてきた。
 生鮮食料品は工業製品ではないのでもともと不揃いである。流通システムは、評価・選別の仕組みを内部に持つ必要がある。

中央卸売市場と卸売市場法

 野菜、肉、魚介類などの生鮮食料品には、中央卸売市場と呼ばれる、競売のためのの市場がある。すべての生鮮食料品がこの市場を通るわけではないが、平均価格などのセリの結果は新聞などを通じて全国の取引の参考にされる。
 中央卸売市場は、国の法律に基づいて都道府県や大きな市が開く。中央卸売市場にはいくつかの荷受業者(にうけぎょうしゃ、正式には卸売業者と呼ぶが紛らわしいのでここでは別名で呼ぶ)がいる。荷受業者は生産者(の団体)から品物を預かって競売にかける。競売に参加する買い手を買参人(ばいさんにん)という。買参人は消費地卸や小売店である。
 大正時代に米騒動が起こり、物価の安定に付いての関心が高まって、1922年に法律が制定され、現在のような中央卸売市場が作られるようになった。江戸時代から卸の集まるセリの市場は大都市にあったが、運営する卸の間で談合が起こりやすく、不明朗であった。
 中央卸売市場として農水省の認可を受けてはいないが、一定の規模を越える卸売市場は、「地方卸売市場」として、取引の方法について一定の条件を付けられている。中央卸売市場と地方卸売市場について定める法律は卸売市場法という。
 それ以下の規模の卸売市場も、都道府県の条例によって、中央卸売市場によく似た制限を受けている。

生鮮食料品の卸と多段階性

 生鮮食料品の卸には大きく分けて、産地で生産者から品物を集める産地卸と、消費地で小売店に品物を売る消費地卸がある。別の分け方として、卸売市場の中に店舗を構えていて、競り落とした品物を分けて小売店などに転売する卸のことを仲卸という。
 生鮮食料品の流通はいろいろなタイプの卸の間で転売され、多くの段階を経るが、これは日本だけではない。理由としては次のようなものがある。
 生産者が小規模であるため、いったん集荷して数をまとめなければならないが、産地卸がこれを行うことがある。
 鮮度や品質等級が個体ごとにバラバラであるため、同じような規格のものを買い集めるための取引が必要になることがある。
 肉の場合、業者間の部分肉取引によって特定の部分だけが集められることがある。例えば日本は鶏の骨つきモモ肉を好むのでこの部分だけが輸入されている(日本の鶏肉輸入量の約40%)し、韓国はカルビ用に肋骨回りの牛肉だけを輸入している。同じ国内でも、ステーキハウスはサーロインやヒレ肉だけを大量に欲しがる。

産地と市場の長期的関係

 競売なら1回ごとに競り落とす相手が違うから売り手と買い手の間に長期的関係などは生まれないように見える。だから生産者はどの中央卸売市場へ出荷しても同じであるように見える。しかし実際には、農協・漁協などの出荷団体は、いくつかなじみの中央卸売市場を持っていて、それ以外へはあまり出荷しようとしない。その農協や漁協の品物に付いての「評判」が長い間に中央卸売市場の買参人の間に出来上がっていて、初めてセリにかけられる産地の品物よりも高く競り落としてもらえるからである。また、中央卸売市場ごとに買参人の好みが少しずつ違うので、生産者のほうもそれに合わせていることがある。
 花きの卸売市場でも、近隣産地が共同して特定の市場へ継続して出荷し、シェアと知名度を高めることで、様々なメリットが得られるといわれる。「生・販統合マーケティング・システム」第10章参照。
農産物のブランド化

 最近、農産物も産地のCMをテレビで流すなど「ブランド化」してきたといわれる。都道府県レベルの組合(経済連)や大規模な地域の農協(単協)は熱心に自分の産地を小売店や消費者に売り込んでいる。ブランドとして定着すると、他の産地の同じ野菜より高い価格が付いたりする。

先取り

 最近の問題として、農産物のスーパーによる「先取り」がある。これは出荷者と買参人が価格を自分達で交渉して、セリにかけられる前に品物を運び出してしまうことである。この場合も荷受業者に手数料を払うことになるが、実際にはセリにかけられる量が減るので、価格形成機能が弱くなったり、品薄な野菜が一般買参人の手に入りにくくなったりする。
 スーパーの側としては、品薄野菜の量を確保したいことや、交通渋滞の多い大都市で開店に間に合うように野菜を運ぼうとすると、セリを待っていては間に合わない、などといった事情がある。
指標価格としての中央卸売市場

 競りにかけると、消費地卸に直接送るのに比べて輸送費が係るし、荷受業者も手数料を取るので、かえって生産者に取って損になることもある。全体の生産量の中で、中央卸売市場を通るものの割合があまり小さくなると、価格の変動が大きくなったり、価格操作の可能性が出てきたりするので、他の取引の指標として使うのに不便になる。例えば豚肉の市場流通の割合は20%以下になっていて、この心配がある。

<考えてみよう>

鶏肉はあまり日持ちせず、品種や飼育方法が標準化されているので品質の個体差が少ない。鶏肉はどういう流通の仕方をしていると想像できるか。市場流通に向くだろうか。 
産地卸はどういう機能を持っているのだろうか。ひょっとするとまったく無駄な存在なのだろうか。 
農産物に「産地ブランド」があるとしても、ひとつの産地の中にはたくさんの農家がある。農家のすべてが金も手間もかかるブランド化に積極的というわけではないだろう。うまくゆくのだろうか。 
「曲がったキュウリはなぜ(安く)店頭に並ばないか」という問題は昔からある。同様に、無農薬野菜や無農薬米も、店頭にあれば売れそうなのにあまり店頭では見かけない。これは流通を通じた情報伝達がうまくいっていないせいなのだろうか。 
「産地直送野菜」という言葉をよく聞く。ちょっと郊外へ行くと、道ばたで農家が野菜を無人販売していることも多い。なかには評判を取っている有名な農家もある。なぜ生産者による直接販売は野菜流通の主流にならないのだろうか。 
野菜の「先取り」によって、最も損失を受けている(機会利益が減らされている)のはだれだろうか。消費者のためには、「先取り」を禁止した方がよいのだろうか。まったく放置するのがよいのだろうか。それとも別の提案をあなたは思いつくだろうか。 
生産者は、なぜわざわざ先取りされると分かっている野菜を市場へ運んで、手数料まで払うのだろうか。

第6節 加工食品の流通


 加工食品と一口に言うが、それは互いに代替性のある膨大な数の製品群である。ひとつの小売店が扱うメーカーも製品点数も非常に多い。大手加工食品卸の商品マスターには10万点前後の商品が登録されていると言う。また、1年に3万点の新製品が現れ、うち2/3は1年以内に姿を消すという。
 こうした中で、小売店や卸はコモンエージェント(共通の代理人)として、たくさんのメーカーと取引をしている。加工食品の中の分野にもよるが、ふつう特定のメーカーに有利な扱いを求めることは難しい。

 食品業界における特約店(卸)制度の意味付けについては、「日本の物価はなぜ高いのか」p.136-138参照。
 加工食品は、スーパーマーケットのようなセルフサービス型の小売形態が主流である。この場合、メーカーの主要な関心事は、より有利な陳列の機会を確保することである。逆に小売店にとっては、限られた棚面積をいかに活用するかが経営効率を決める。

製品の取捨選択

 スーパーの場合、ある商品を扱い始める(扱うのをやめる)ことは、POSの商品マスターに載せる(マスターから削る)というはっきりした操作を伴う。これをアイテム採用という。大規模なアイテム採用のシーズンは、春と秋(棚替え)である。
 あるチェーンにアイテム採用された製品は、直ちに全店舗の店頭に並ぶこともあるが、いくつかのアイテム採用品目の中からどれを店頭に並べるかが店舗(店長、あるいは店舗のバイヤー)の判断に委ねられる場合もある。後者の場合、メーカーの営業担当者はアイテム採用を獲得して喜ぶひまもなく、各店舗へのお願いに回らなければならない。
 各製品はPOSデータにより売上を追跡され、成績が悪ければ交代させられる。スーパーが新製品を扱い続けるかどうかを判断する目安は、1~3ヶ月と言われる。

数量割引と特売

 取引高に応じて、例えば半年間の売上が1億円を超えたら10%引き、2億円を超えたら15%引き・・・といった数量割引が行われることが多い。この10%や15%の分は、その期間(この例では半期)が終了した後、メーカーからリベートとして払い戻されるのが普通である。
 卸や小売店が自分の売り切れる分以上を仕入れて、大幅に割り引きしてもらい、余分に仕入れたものを原価で転売してしまえば、割引分だけ得になる。ディスカウントショップに流れる製品は、こうしてこっそり転売されたものも多い。
 標準小売価格や、小売店向けの卸売価格などが一斉に変更されることはほとんどない。しかし、スーパーで特売をやっている場合、メーカーがその時期の仕入分に限って値引きをしているのが普通である。(卸の取り分はふつう削らないし、特売の交渉は原則として直接メーカーと小売店の間で行われる。)だいたい2ヶ月前には特売に付いて合意が出来ている。それ以後に合意したのでは、スーパーが特売チラシを用意するのが間に合わないからである。
 メーカーの合意のない(値引き分が小売店負担の)特売もあるが、値引き幅が大きいとメーカーから小売店に文句が来ることがある。他の小売店に取っての不満の種(あるいは交渉材料)になるからである。
 最近、いくつかの加工食品メーカーは、リベートを整理・縮小して、その分だけ卸売価格を引き下げた。複雑な事務や交渉に見合った販売促進効果があるか疑問であること、小売店がPOSデータを使った単品ごとの利益計算に熱心になり、半年経たないと実際の仕入価格が確定しないリベートシステムを嫌ったことなどが理由であると言われる。
メーカーセールス固有の機能

 メーカーの営業マンが小売店に出向くのは、第一に、上記のようなメーカーと小売店の価格交渉はコモンエージェントである卸には任せられないからである。それ以外の細々した事柄、例えばチェーン店ごとの納品の割り振りや納品期日などは卸の営業マンが小売店と交渉して決める。
 メーカーの営業マンでなければ出来ない第二の事柄は、店頭管理と棚割りのチェックである。店頭に価格の表示が出ていなかったり、外装のいたんだ製品が並んでいたりしたら、小売店にとってよりもメーカーの売上や信用に関わる。小売店に取ってはたくさんある製品のうちのひとつであり、隣の製品が売れてくれれば文句はないからである。同様に、店頭スペースが他の製品に占領されていないかどうかもチェックすることもある。棚の中でどこに何を何列並べるか、という棚割り表は、交渉で決まっていることが多いが、約束を破ったときに困るのはメーカーの側である。

<考えてみよう>

 小売店に置いてあるアイスクリームの冷凍庫にはメーカーのマークが付いていることが多いが、あれはメーカーから小売店に無料で貸していることが多い。しかし、そのメーカーの製品ばかりが中に入っているわけではない。メーカーはどうして他社製品のために自社冷凍庫を使わせているのだろうか。
 「品質はいいのに日本の小売店が自国製品を置いてくれない」という外国メーカーないし外国政府関係者の嘆きが新聞に載ることがある。まったく日本になじみのない加工食品メーカーが日本市場に現れて、紙の上の契約だけで日本の卸・小売店と取り引きしようとした場合、どういった障害にぶつかると思うか。
 大手スーパーの中には、POSデータを使って、商品あたりの売上高や利益のほかに、フェイス(棚の1列分)あたり利益を計算しているところがある。
 特売によって売上が伸びたとき、商品別指標とフェイス別指標の動きはどう違うだろうか。売上と利益の動きはどう違うだろうか。
 メーカーの利害とは異なる小売店の利害をはっきり表す指標はどれだろうか。

第7節 推奨販売と大衆薬の流通


 医薬品の分類は、次の通りである。ここでは、一般用医薬品の流通を中心に解説する。
1.医家向医薬品 (メーカー出荷額の80%以上)

 医師の処方箋がなければ買えない。
 医師が健康保険から受け取る薬価と 実際に卸やメーカーから医師が買う薬価の間には大きな差益(薬価差益)があって、とくに大病院の収益源になっている。一般の開業医でも、医師が処方箋を患者に出さずに、自分で「売る」ことが多い。このために医薬分業が叫ばれつつもなかなか進まなかったが、1990年代に入ってようやく一般化した。もっともこの背景には、薬価差益そのものが圧縮されたことがある。
2.一般用医薬品(大衆薬)

 作用のそれほど激しくない薬。薬剤師のいる薬局なら誰にでも売れる。
 かつてはメーカー出荷額の50%近くを占めていたこともあったが、いろいろな健康保険が全国民をカバーするようになって、医家向け医薬品に比べてシェアは低下してきた。また、ドリンク剤・ミニドリンク剤の中で薬効成分の緩いもの(例えば、カフェインの含有量が少ないもの)は医薬部外品へ分類変更され、どこででも売れるようになった。
3.家庭用配置薬

いわゆる「越中富山の置き薬」。非常に長い伝統を持つ販売形態だが、現在ではシェアはわずかである。
 この業界では相談販売という要素から小売店の系列化がある程度行われているが、市場規模が小さいことと一社では品揃えが不足することのためにメーカーの投資が小さく、家電製品ほど明確に特定メーカーの傘下に入るものにはならない。

数量割引・リベート

 加工食品のさいに見たような、期間ごとのリベートによる数量割引が広くみられる。また返品も広く行われている。
 最近はチェーン店制の量販店が現れて、数量割引で安く仕入れた薬を値引き販売している。
推奨販売

 小売店が消費者に特定製品を奬めて買わせること。消費者が製品についてあまりよく知らない場合、例えば医薬品の場合は特に重要になる。
 メーカーは小売店の自発的な意欲を引き出さなければ、推奨販売をしてもらえない。
 医薬品の場合、ひとつのメーカーの製品だけで消費者の注文をすべて満たすことは出来ず、小売店の売上のなかでのひとつのメーカーのシェアはせいぜい20%前後である。だからいくら小売店の協力が大切だと言っても、メーカーが自社製品の専売店を持つことは利益に比べて費用がかかりすぎる。

メーカーの販売戦略 

新薬系メーカー

 大手の有名メーカーで、小売店との取引には卸を使う。それとは別にメーカーの営業要員が大規模な小売店や重点地域を回っている。医家向け医薬品のシェアが大きいメーカーが多い。武田、三共、塩野義など。
直販系メーカー

 現在は大手メーカーになっているものもあるが、新薬系に比べると小規模なメーカーが多い。メーカーの営業要員が直接小売店に製品を届け、集金する。メーカーの売上の中で大衆薬の比率が高い。大正、エスエス、佐藤など。
家庭薬系メーカー

 小規模な漢方薬メーカーなどで、メーカーの営業要員は小売店を回らない。小売店への販売促進は卸任せということになる。
新薬系・直販系のメリットとデメリット

 直販系メーカーは取引を通じて個々の小売店の希望や経営状態が分かるので、店舗のディスプレイを兼ねた自社製品コーナーを置いてもらったり、小売店同士の情報交換のための親睦会を開いたり、店舗改装のモデルプランを提供したり、いろいろなかたちで小売店に利益を与えて、小売店の協力を取り付けている。(なかには直接自社の利益に結びつくものもある-自社製品の効能説明の講習会など)
 講習会などは新薬系メーカーもやっている。
 直販系メーカーはどちらかと言うと小規模なので、大量生産・価格競争が重要な製品については、新薬系メーカーとの競争で苦戦する。物流に付いても、自社製品だけをいちいち運ばなければならないため、直販系メーカーのほうが割高になる。もちろん上記のような小売店との「おつきあい」のための経費も余分にかかる。
 直販系メーカーの主な収益源は、推奨販売が重要で、しかも高額で利益率も高い製品、つまりドリンク剤・ミニドリンク剤だといわれる。また、マスクなどの衛生用品や殺虫剤などの医薬部外品は、需要が小さいために原価の差が出るほど大量生産できず、新薬系メーカーが価格競争に訴える余地が少ない。これらの小さな市場を、小売店の好意をてこにして埋めていくことも、直販系メーカーの基本的な戦略である。

<考えてみよう>

「巨大メーカーは流通を支配しようとしている」という意見を新聞などで見かけることがあるが、メーカーが大きいほど流通への関与が大きいといえるだろうか。または、いつもその逆であるといえるだろうか。 
家庭薬系メーカーは一般に直販系メーカーよりさらに小さいが、直販制を取らないのはなぜだろうか。 
直販系で下位のメーカーの中には、取扱商品のうちで他社から販売委託を受けている製品の割合が高いところがある。個々のメーカーが製品を売る場合に比べて、製造元・販売元のメーカーに取ってどんな得があるのだろうか。 
量販店タイプの薄利多売の薬局が、家電量販店と比べて、その財の流通のなかで大きなシェアを取りにくい理由をあげてみよう。 

第8節 アフターサービスの必要な財の流通(家電・自動車)


 自動車や家庭電器製品は、多かれ少なかれ、アフターサービスが必要である。そのために、アフターサービスの窓口として、メーカーは全国の小売店との関係を維持する必要がある。
 ただし、その必要性は時代とともに変化しており、流通形態もそれにつれて変容している。

流通系列化

 この分野の小売店の多くは、明確にどれかのメーカーの系列に入り、そのメーカーの看板を挙げていることが多い。自動車の場合はさらに、ひとつのメーカーがカローラ店・トヨペット店などの販売店系列をふたつ以上持っていることもある。
 自動車ディーラーや家電の販社はメーカーの資本参加や役員派遣を受け入れていることも多い。ただし、どちらもまったく、あるいはわずかしか受けていないディーラーや販社も多数存在する。
 自動車の場合、メーカーとディーラーの間には専売店契約(他のメーカーの車を扱わないこと)は必ずしも結ばれていないが、事実上複数メーカーのディーラーとなることは希である。また、販売店の担当区域が重複しないように定められている(テリトリー制)ため、価格競争が起こりにくい。
 家電の場合は2つ以上のメーカーの系列に属している小売店も多い。
 アフターサービスの比重が低くなると、カメラや時計のように、複数メーカーの製品を集めて安売りする量販店が現れ、(カメラや時計の場合小売店レベルでの系列ははっきりしないが)小規模な専門小売店のシェアが低くなっていく。

家庭電器製品と販社

 家電製品の流通は、販社(メーカー専属の卸)を通るのが普通である。
 家電の販社は、1950年代から盛んに創設されるようになり、1960年代後半になってようやく全国を完全にカバーするようになった。
 それまでは、独立した卸が多くのメーカーの製品を扱っていた。販社は必ずしもメーカーが設立したものではなく、もとは独立した卸や、卸の特定メーカーの担当部門から転じたものも多い。
 家電の販社は、小売店との日常的な取引にかかわる物流や代金決済を担当する。販社制度はメーカーから見て、独立した卸に比べて、小売価格の監視と安売り抑制の効果が高いといわれる。
 家電系列店の家電販売に占めるシェアが低くなってきた1970年代後半から、販社は統合され広域化する傾向にある。

家電とアフターサービス(修理)

 修理能力がないと小売店としての機能が果たせない場合がある。またメーカーも修理拠点がないと小売店に嫌われ、商品の参入そのものがうまく行かないことがある。
 電気炊飯器が登場した頃、電器店だけではなく、鍋や釜(つまりそれまで炊飯器の機能をはたしていた製品)を扱う荒物屋も電気炊飯器を扱っていた。しかし修理能力がなかったので、多くのトラブルを生んだ。
 1985年以降、円高によって、韓国・台湾・シンガポールなどのNIES(新興工業地域群)で作られた電器製品が輸入されたが、伸び悩んだ。故障や不良が多かったことも一因だが、真っ先に日本の電器店から嫌われ出したのはNIES製の冷蔵庫や洗濯機であった。メーカーの拠点が日本にないので小売店が修理することになるが、大型製品は修理のために小売店が回収する費用が高くつくからである。現在では韓国の大手メーカーなどは日本に修理拠点を置いて、事実上の再参入を果たしている。
 ただし実際には、重要な部品が輸入品であったり、まるごと海外メーカーからのOEM品(相手先ブランドで売られる製品)であったりする「国産品」も多い。その場合、日本メーカーは検査して修理ネットワークを提供しているだけに近い。 

家電における流通系列化とアフターサービス


 家電業界は流通系列化の典型のように言われるが、この業界の小売店系列化は次の4段階に分けて考えると理解しやすい。
1.テレビ登場以前

 電球やラジオは戦前からすでに小売されていたが、ラジオ販売店は修理店を兼ねており、多くのメーカーの製品を扱っていた。松下電器はこのころから連盟店制度を持ち、小売店の組織化に力を注いでいたが、これは松下独自の路線といえた。
2.白黒テレビ時代

 1950年頃から、テレビという高価な家電製品が登場した。この製品は修理と調整が不可欠で、近隣の修理拠点を販売拠点として確保することがメーカーにとって重要であった。
 メーカーは一斉に、系列小売店の確保に乗り出した。この過程で、系列小売店との結びつきを強めるために、テレビメーカーは総合家電メーカーとなることが必要になった。
 これと並行して、卸の販社化も各社一斉に進められた。
 1960年頃からカラーテレビが登場したが、すぐには流通の体制を変化させることがなかった。ただ、系列小売店が従来の技術ではカラーテレビの修理に対応できずに苦心したのではないか、と考えられる材料はある。これは次の時代の伏線となる。
3.トランジスタテレビ時代

 トランジスタ(ソリッドステート)カラーテレビは、1960年代末に相次いで発売されたが、これは真空管型に比べて故障率が低く(1/20になったとも言う)、たとえ故障しても部品単位での交換は困難であった。
 当時、エアコン、ステレオなどまだ普及率の低い高額家電製品は多数残っていた。そこで各メーカーは、系列小売店に家庭訪問を奨め、自社製品のセールスのために活用した。
4.成熟市場時代

 高額家電製品の普及が一巡してしまうと、系列小売店が担ってきた新規需要開拓の余地はほとんどなくなった。消費者は商品知識を身につけ、価格を中心に小売店を選べる環境が整った。また、ラジカセなど一部の家電製品はあまりにも値下がりしたため、修理しながら長く使い続ける商品ではなくなってしまった。
 メーカーは系列小売店へのてこ入れのため、小売店をショーウィンドーとして活用するための店舗改装の支援など、その後も工夫をこらしているが、系列店全部を投入できるほど有効な活用法を見つけられずにいる。
 大雑把に言って、系列小売店に残っているニッチは地域に密着したサービスしかないのだが、この領域に大手量販店が進出していけないと言う法はない。実際、大阪のマツヤデンキなど、量販店の一部がすでに自宅訪問(診断・修理)サービスに乗り出している。
 1970年前後にはサービス(修理・保守)をしっかりやっていれば大手の攻勢には負けない、と言っていた関係者は多かったのだが、大手が年中無休のサービス窓口を設け、委託業者を駆使してエアコン取付サービスなどを充実させるようになると、たちまち差は埋まってしまったのである。

系列店と量販店、量販店とディスカウントストアの反目

 家電の系列店のシェアは、最も大きい時期にはメーカーの売上の80%を超えたが、現在は40%台まで落ち込んでいる。また旧来の量販店も、サービスを節約して価格競争するディスカウントストアにシェアを食われている。
 メーカーとしては、自分の納入価格が下がらない限り、どの小売店であろうと売ってくれたほうがよい。しかし系列店や既存量販店に離反されるとディスカウントストアの売上ではカバーしきれないので、価格を監視して、ある範囲を超えた安売りには出荷停止や社員による買い占めで対抗する。ディスカウントストアも、売上がある程度大きくなると、バッタ商品などの不安定な供給では、需要をまかないきれない。
 メーカーと妥協する典型的なパターンは、メーカーが大幅な値引きを許容し、販社を通じて仕入れ数量を安定的に確保する代わりに、ディスカウントストアは価格を宣伝しない、と言うものである。
 高額で、価格を比較して買うのが当たり前の製品を、マーケティングでは買回品と呼ぶ。消費者の価格情報収集があまり簡単になると、買回品は価格競争によって販売数量が決まってしまい、企業や小売店は超過利潤ゼロになるまで競争しなければならない。メーカーとしても小売店としても、これを防ぎたい。

<考えてみよう>

販社でなく、コモン・エージェントの卸を使うと、どういった不都合が起こるのだろうか。大衆薬の直販系メーカーをめぐる解説を参照しながら考えてみよう。 
家電系列店のシェアはなぜ低くなってきたのだろうか。逆に言えば、昔はなぜ今より高かったのだろうか。 
中位以下の家電メーカーでは、規模の経済が働かないために、他社が大量生産している製品(例えば14インチの普及型テレビ)の中にはほとんど利益が出ないものがある。しかし、系列小売店との関係で、赤字覚悟で作っているものもあると言う。メーカーのこうした行動はどういう計算に基づいているのだろうか。大衆薬の直販制のケースで学んだこともあわせて考えてみよう。 
円高によって、ある輸出専門の家電(とくにAV)メーカーが日本市場に力を入れるようになった。このメーカーは最初のうち、かなりディスカウントストアとの取引があったが、そのうち取引を避けるようになった。なぜだと思うか。 
メーカーはディスカウントストアがなくなっても困るし、かといってディスカウントストアばかりになっても困る、と考えているようである。このメーカーの行動は合理的なのだろうか。(ディスカウントストアをまったく排除するか、あるいはディスカウントストアだけに商品を卸すことにすれば、メーカーの利潤はもっと大きくなるのだろうか。)もし合理的だとすれば、メーカーの首尾一貫しない行動はどう説明すればよいのだろうか。先に述べた、メーカーとディスカウントストアとの妥協の条件を手がかりに考えてみよう。

自動車

自動車の流通経路

 自動車(トラック・乗用車)のほとんどはディーラーを通じて販売されている。メーカーと消費者が直接結びつくのは官公庁などの特殊な例だけで、自動車教習所などの大口ユーザもディーラーから車を買っている。
 ディーラーからさらに中古車販売業者などの「業販店」を通じて売られる分もあるが、その実態は詳しく分かっていない。公正取引委員会の調査によれば、業販店のシェアは15%程度だという。業販店は2社・あるいは1社中の2つ以上の販売店系列の車を扱うこともあるが、主に軽自動車に限られている。
 国内メーカーと販売提携した輸入車はどれかの販売店系列に組み込まれる。
 最近は、下位メーカーを中心に、自社の全系列の車を一同に集めたショールームを作ったり、輸入車を積極的に扱って車種を増やすなどの動きがある。

オーダー・エントリ・システム

 乗用車の色やオプション部品の種類は非常に多い。多くのメーカーは、ディーラーへの基本的な配車計画を月単位程度で決めておいて、生産時点ぎりぎりでも変更できるオプションは、実際に消費者との契約が成立してから指定(変更)できるようにしている。これによって、消費者の望む通りの車を短期間で届けることができる。このシステムは、その背後にあるメーカーとディーラーのコンピュータ・ネットワークと合わせて、オーダー・エントリ・システムと総称される。
 当然ながら、このシステムはメーカーが一方的に仕様を決めた大量生産システムに比べて、1台あたりの費用がかかる。一方、もっと徹底した注文生産システムも考えられる。メーカーは費用と消費者へのアピール度を天秤にかけて、様々なレベルの柔軟な対応を模索している。

 過去の試みについては、岡本博公「現代企業の製・販統合」p.67前後を参照。また、納期短縮と大量生産のメリットに対する各産業の状況の違いについては、同書p.153-154およびp.166注4を参照。

ディーラーの開拓

 あとから参入したメーカーの場合、地価の高騰や環境規制などで、ディーラーがなかなか見つからないことが多い。建築基準法により、住居地域では50平米を超える工場は建てることができないが、運輸省に整備工場としての認可を受けるためには、面積が60平米を超えることが要件に含まれている。「自動車ディーラーの日米比較」p.97参照。
 BMWジャパンは、それまでの輸入総代理店だったヤナセに飽きたらず(ヤナセは多くの企業の輸入車を扱っているし、販売拡大に消極的すぎるとBMWは考えたのだろう)、自分でもBMWの販売店を探し始めた。既存のディーラーをそっくり引き抜くことはなかなかできないので、ディーラーに別の会社を作ってもらって専売店契約を逃れたり、規制の緩い土地の所有者に販売店のノウハウを教えてディーラーになってもらうなどの対策を講じている。

複数ディーラー系列-現状

 多くの自動車メーカーは、複数の販売系列(最大5つ)を持っており、販売系列ごとにテリトリー制を敷いている。ひとつの地域を担当する同一メーカーのディーラーが最大5社あることになる。
 アメリカの3大メーカーもディビジョンと呼ばれる販売・生産系列を複数持っている。これは高級車から普及車までの価格帯に対応していると同時に、それらのメーカーが多くのメーカーを合併吸収してきた名残でもある。
 アメリカの各ディビジョンのディーラーは、供給を受けられない価格帯の製品については、他社製品で埋めることがある。石油ショック後、アメリカの3大メーカーは(アメリカの基準で言う)小型車をアメリカの消費者が求めたとき、すぐに供給できる車体がなかった。この間隙を衝けたことが、日本車がアメリカ市場を席巻する大きな要因になった。
 メーカーは(ディーラーは、というべきだろうか)他系列の車をマイナーチェンジしただけの車を使って、ラインアップの空白を埋めることがある。双子車、三つ子車と呼ばれる、名前は違うが同クラスの車がそれぞれの系列で売り出される例がある。アメリカでもGMが1970年代後半から1980年代前半にかけてこの種の問題に直面した。
 こうした、ディーラー間の車種競合は、日本では1980年(トヨタがビスタ店を登場させた年)ごろから顕在化したといわれる。それまでは、少なくとも乗用車については、ディーラー系列によって取り扱い車種の価格帯はまったく異なっていた。

複数ディーラー系列-過去と未来

 日本のディーラー制度は、戦前にフォードやGMが日本に進出したときの販売方法をそっくり真似たもので、1県1店のテリトリー制はここから来ている。
 戦後になって自動車の需要が拡大した際、メーカーは既存ディーラーのフランチャイズ地域を削る代わりに、同じ地域に別のディーラーを置いて別の車種を扱わせることを選んだ。既存ディーラーとの摩擦を避ける考慮もあったであろうし、当時は自動車の普及を促進し、新規需要を開拓する余地がまだまだあったので、ターゲットを絞り込んだディーラーを置くことは一定の合理性があった。

 現在ではディーラーの地位を一方的に取り上げることは難しくなっているので、フランチャイズ地域の再編はメーカーにとって困難で時間のかかる作業である。近年GMは新型車サターンだけを扱う新しいディーラー系列を作り、従来より広いフランチャイズ地域を与えることを試みているが、これは新型車だからこそできることである。
 ところが市場が成熟して買い替え需要が需要の大半を占めるようになると、小型車オーナーを大型車に乗り換えさせることが重要な販売戦略となってきた。ここにきて、品揃えをあえて競合させる必要が生じてきたのである。ということは、複数の系列を持つことのメリットが薄れてきたということでもある。
 日産は5つのディーラー系列を4つに再編している途中にゴーン・ショックが走り、ゴーン新社長は一気にこれをふたつに減らしてしまった。トヨタは若者向け(特に若い女性向け)のネッツ店に、低価格中型車を主力としていたビスタ店を統合することを2003年2月に発表した。これでトヨタは4系列に減ったことになる。
 その一方でトヨタは、「トヨタ」と並ぶ高級車のブランドとしてレクサスを導入し、その専門店舗を全国に設ける計画を発表したが、レクサス「系列」という表現は慎重に避けている。今までのように特定地域をセールスマンでカバーする営業拠点としての意味合いよりも、文字通り来店客にアピールする「店舗」としての側面を強調し、それを運営させるディーラーは系列にこだわらず自由に選びたいと考えているのであろう。

アメリカの自動車流通

 アメリカでは1ディーラー1営業所が原則であり、平均規模が日本のディーラーより小さい。修理工場は1ディーラーの販売した自動車の修理だけではやってゆけないので、アメリカのディーラーは普通は修理・点検の機能を持っていない。
 日本の場合、ディーラーが自分の工場で修理・点検を行っていて、自社が販売した車の故障歴や現在の状態を知っている。そこで、新車のとき買ったディーラーに中古車を下取りしてもらう比率が高い。ただしディーラーは展示スペースの関係で、これを転売することも多い。アメリカの場合、こうしたメリットがないので、新車ディーラーと中古車ディーラーはそれぞれ別である。
 日本ではディーラーの販売計画とメーカーの生産計画が慎重にすり合わされていて、あらかじめ車種別に発注してある車の細部の仕様を指定することで、みかけ上は2週間程度で注文通りの車が出来上がってくる。これをアメリカでやろうとすると8週間くらいかかってしまうので、高級車を除いては店頭に展示してある車を買うのが普通である。仕様面での消費者の選択が限られているために、アメリカでは価格以外に交渉材料がなく、日本よりも大幅な値引きの余地があるが、その割には消費者の満足度は低いと言われる。

アメリカ自動車ディーラーの独立性

 誰でも知っている「ジープ」を最初に作ったのは、バンタム社という無名のメーカーである。アメリカの自動車産業は、弱小メーカーの乱立で幕を開けた。これに対し、自転車のディーラーはすでに存在したので、ここから初期の独立系自動車ディーラーの多くが生まれた。
 これらにメーカーがフランチャイズ地域を与える初期の契約は、他社の自動車を扱わないことや、ショールーム・修理施設を保持することなどをディーラーに求めており、現代日本の自動車ディーラーに通じるものがあった。そして、メーカーの配車を引き取る義務も定められていることが多かった。もっとも、メーカーが支配権を振るう間もなく倒産してしまう可能性もかなりあって、情勢は流動的であった。1920年代になると買い替え需要も増え、自動車の下取りと中古車販売も始まって、ますます現代日本のディーラーに近くなった。自動車メーカーは厳しいノルマを課し続けたので、1930年代末になると、ディーラーの販売部門は赤字が常態化し、収益は部品販売と修理からあがるという構造になった。
 1941年、公正取引委員会(FTC)はGMに対し、専売と純正部品使用強制のふたつの条項をディーラーとの契約から除くよう命令した。同様に、メーカー系クレジット会社との契約を強制することも禁止された。戦後の1949年になって司法省があらためて、専売条項を自動車のフランチャイズ条項から除くよう建議し、メーカーによって多少の時期のずれはあるものの、専売条項はほぼ一掃されるに至った。
 しかしメーカーからのノルマ強制と契約解除の脅し(ないし実行)はまだ多かったので、1958年、「誠実法」により、強制や脅迫が禁じられた。ディーラーの地位をメーカーから守る法律は、多くの州ですでに州法として存在しており、「誠実法」はその総仕上げといえる。我々の知っている、メーカーから独立したアメリカの自動車ディーラーは、こうした経緯を経て生まれてきたものなのである。

 この「誠実法」は、ディーラーの利益を実質的に保護するものだが、文面はそうなっていない。フランチャイズ契約のいかなる当事者も、強制や脅迫といった「誠実さを欠く行為」をしてはならないと定めている。弱者を定義して保護することに、アメリカ連邦議会はここでも慎重である。
 ディーラーは地方レベルでより強い政治的影響力を持っているので、ディーラーの立場を保護する法律は連邦法よりも州法で通りやすい。アラスカを除くアメリカのすべての州は、「10マイル法」と総称される州法を持っている。これは、自動車の同一フランチャイズの隣接(州によって異なるが10マイル程度)立地を禁じるものである。日本の商調法(流通経済論で取り上げる)や、以前存在した薬局開設の距離制限を思い起こさせる。

アメリカにおける輸入車

 アメリカにおけるディーラーの立場強化の動きは、輸入車が浸透する前提条件となったが、これで直ちに日本車の存在が大きくなったわけではない。1969年のアメリカの乗用車販売台数のうち、カナダ以外からの輸入車は12%強にすぎず、その大半はフォルクスワーゲンなどの西ドイツ車であった。
 1973年のオイルショックによりガソリン価格が急騰すると、燃費の良い(アメリカの感覚で言う)小型車への需要が高まり、このタイプの乗用車の開発と販売に不熱心だったビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)は日本や西ドイツからの輸入車に市場を奪われていった。
 じつは小型車への需要のシフトは1960年代後半から生じていたと言われる。しかしアメリカのメーカーは1台あたり利益額の大きい大型車に重点的に経営資源を投入し続け、1970年代以降の状況への対応が遅れた。

日本の自動車流通は輸入車を締め出しているか?

 日本市場に進出したばかりのフォードやGMは、日本のディーラーに対して完成車を次々に押し込み、売れ行き不振と見るとディーラー契約を更新せず他の業者と交代させた。これは当時のアメリカで一般的だった対ディーラー政策をそのまま持ち込んだものである。

 ただ日本に進出したのはアメリカでの競争を勝ち抜いた2社だけであったことから、日本の市場には併売店が最初から存在しなかった点は、アメリカと異なっている。
 従って、その流通機構を引き継いだ日本のメーカーとディーラーの契約には、年間ノルマ台数の引取義務を規定する条項や、取扱銘柄の限定・専売制といった条項も多く残っていた。これらの問題は、2度の石油危機を経てディーラーの費用条件が悪化し、日本の自動車市場も成熟した1970年代後半に顕在化した。

 一度も乗られていない「新古車」が中古車市場に出回ることがある。これはノルマを果たせなかった分がディーラーから(いったん従業員などが買った体にして)安値で放出された例が多いが、このころから広く見られるようになった。
 1970年代末に、公正取引委員会および通産省が相次いで、これらの点を自主的に見直すよう業界を指導した。この結果、契約上の表現が「責任販売台数」から「年間販売目標」などとソフトに変更される例が相次いだ。
 1989年の日米構造協議を受けて、メーカーがディーラーに他社製品取扱を制限できるような曖昧な条項を撤廃する方向へ、再び改定が行われた。
 このように、日本の自動車ディーラーは現在では、国内メーカーの利益に反して輸入車を扱う意思決定もできるようになっているが、それは自然にそうなったわけでも、昔からそうだったわけでもない。

<考えてみよう>

中古車をなじみのディーラーでなく、専門の中古車業者に売るとしたら、消費者が新たに直面する問題はなんだろうか。また、ディーラーから中古車業者に転売する取引は、消費者から直接売るのと比べて、どういうメリットがあるのだろうか。 
仮に日本に車検制度がなかったとしたら、自動車の流通はどう異なったものになっただろうか。

第9節 流通の多段階性と中間組織-繊維流通


 消費者が直接購入する消費財(最終財)に対して、消費財の材料として使われ、消費者がほとんど直接購入することのない財を中間財と呼ぶ。そもそも中間財はなぜ企業間で取引されるのだろうか。同じことだが、消費財メーカーはなぜ部品をすべて内製しないのだろうか。
 ひとつの製品が出来上がるまでには、生産の前に企画・研究開発が必要であり、また生産されたものにいままで見てきたような様々な販売活動を加えて、初めて消費者に届く。これらの活動をいくつかの企業が分担して行っているため、見かけ上の流通経路が長くなっている場合がある。
 第1節で学んだ織物の親機-賃機の関係を思い出そう。賃機を織物のメーカーとすれば親機は卸に分類するしかないが、ひとつの企業でもやれることを2分割しているとも解釈できる。
 こういったタイプの「多段階性」が日本ではいろいろな産業でみられ、そこには「下請け」の問題がつきものである。そこで流通論やマーケティングの学者の間には、卸の多段階制は日本の流通が「遅れている」からだ、とする見解が根強い。しかし、高度経済成長の後も、これらの産業の多段階性はそれほど減っていない。

分権化のメリットとデメリット

 一般に、各部門の独立性を高めるとコスト意識が徹底するが、リスクの高い研究開発や公益的活動(例えばごくわずかの障害者が使う機器や、発生頻度の低い難病の治療薬の開発・製造)を組織全体のために行う主体がいなくなる。
 近代的な工業製品の大メーカーも、事業部制や分社制を敷いて、メーカーの機能の一部分だけを持った、独立性の高い組織をわざと作っているケースが多い。

 松下電器産業の社内には、テレビ事業部、映像機器事業部(衛星放送など)ほか、全部で34の事業部がある。そのほかに、松下電子部品など本社から分離された6つの会社が、合計43の事業部を持っている。また、本社の事業部のうち15は、本社内に製造部門を持たず、6つの分社やその他の子会社に製造を任せている。
 事業部は独立採算制をとっていて、その成績が事業部の社員の給料や昇進にはね返る。資金は本社から借り、利子をつけて返さねばならない、という徹底したところもある。簡単に言えば、事業部はひとつの企業のように、その事業部の利潤を最大化することを期待されている。
事業部制・分社制のメリット

業績を待遇に反映することで社員の努力や工夫を引き出す 
権限を事業部に委譲して意志決定を簡素化する
デメリット

短期的には不採算だが、技術蓄積の必要などから長期的に伸ばすべき製品への投資がおろそかになる 
営業部同士の競争が起こることがある

垂直統合

 最終財のメーカーが、原料調達、中間財生産などの部門を傘下に収めることがある。また逆に消費者に近い方向へ手を伸ばして、卸や小売店を合併または子会社化することがある。こうした、ひとつの財の生産・流通に関わる縦方向の統合を、とくに垂直統合という。
 垂直統合のメリット

原料の市況が不安定な場合でも、原料供給が安定する。 
互いの連絡・交渉の費用が減少する 
市場情報などを迅速に入手でき、しかも他社に漏れない
 デメリット

経営者にとって不慣れな問題が増える 
古いシステムが、技術革新への対応上の足かせとなることがある 
親方日の丸的な意識が生まれる
 垂直統合のメリットとデメリットについてのさらに突っ込んだ検討は、ポーター「競争の戦略」第14章を参照。また、合成繊維メーカーが原料となる化学物質のプラントを統合した(しなかった)例について、米川伸一ほか編「戦後日本経営史」Iのp.154-157、およびp.167以降を参照。

アッセンブリ方式

 ひとつの業界が共通に必要とする部品に、強い規模の経済性が働くことがある。このときは、互いに内製や垂直統合を止めて、少数の専門企業から購入することにすれば、業界全体としての費用削減につながる。ミシン業界は業界全体で共通部品の規格を定めて、それぞれの部品を専門の企業が大量生産できるようにして、価格面で輸出競争力をつけることに成功した。有沢広巳監修「日本産業史2」p.86参照。
 例えばカメラのシャッター、テレビのブラウン管用ガラスなどはごく少数のメーカーが多数の最終財メーカーに中間財を供給している。

中間組織

 ひとつの企業内での分権化、複数の企業間での継続的な協力関係といった取引相手との関係は、一体化された企業の部門間取引と、その場限りの市場取引の中間の世界といえる。そうした意味で、こうした結びつきを中間組織という。
 中間組織の功罪はともあれ、そうした経営上の工夫を機械的に中間財「流通」ととらえて、流通経路の長短やマージンの大小(ひとつの企業で一貫生産していれば製造原価の一部になるもの)を論じることは、ひとつの国の流通の「よさ」の議論としては視点が偏っているように思われる。

繊維流通

 繊維流通は、流通の研究者にとって、非常に頭の痛い業界である。縦に製糸業、織物製造業、衣料品製造業といった様々な切り口がある上、綿、絹、毛、化繊という原材料別に業界が分かれ、それぞれ固有の事情を持っている。おまけに繊維商社も無視できないとなれば、概念整理だけですでにつまずいてしまう。
 ここでは「多段階性の成立要因と得失」という観点に絞り、かつ綿・絹・合繊という3つの素材に限定して、繊維流通の仕組みを概観することにする。

綿織物

 鎖国日本には、綿の栽培から始まって、製糸業、織布業(織物製造業)、衣料品製造業というワンセットが揃っていた。このうち作物としての綿花の生産は、輸入品に押されて1900年前後にはほぼ一掃されるに至る。

 1896年に綿花輸入税が撤廃されたことが、国産綿花に対する最終的な打撃となった。有沢広巳監修「日本産業史1」p.161-162参照。
 製糸業は織布業に比べて規模の経済性が大きく、政府の補助政策によって生まれた小企業が次第に統合されて、大阪紡(現在の東洋紡)、鐘紡などが台頭してきた。1890年頃から織布部門も兼営するケースが増加してきたが、自社工場の大型織機を使う細工の粗い生地であった。
 同じころ、賃織りもまた盛んになりつつあった。比較的熟練を必要とせず、動力を使わない小型の織機が輸入され、従来の織物問屋によって農家に貸し出されはじめたのである。つまり賃機はもともと、農家の内職であった。織物問屋は旧来の織機を自社工場に置いて熟練工に使わせつつ、農家に輸入織機を貸し出す、などということも起こった。織機単位で言えば規模の経済性はほとんどなかったので、農家に置いてもよかったのである。逆に、農家がこれを自分で買うには、織機は高価であった。
 1897年に有名な豊田佐吉の豊田織機が登場する。これは舶来品より高性能とはいえなかったが、格段に安価だったので、やがて急速に伸びはじめた。この頃から、綿織物の輸出が盛んになってくる。生産が伸びたために、賃機は農家の副業から独立した業者が運営するものへと変わっていった。
 このように、綿織物の親機-賃機関係は、規模の経済性が小さいという技術的な特性と、社会への導入プロセスから生まれてきたといえる。

絹織物

 絹の製糸業にも人力、のちに動力を用いる器械製糸がなかったわけではないが、綿織物に比べると長期にわたって大製糸企業が現れなかった。生糸相場が不安定で、頻繁に中小製糸業者の倒産が起こったが、官営富岡製糸場や大資本による製糸場も赤字続きであったらしいので、おそらく絹の製糸技術には規模の経済性がほとんど働かなかったのであろう。かえって、完成した糸を扱う商人のほうが初期には大規模化して、産地で組合を作ってその金融を受けた諏訪地方のいくつかの業者は、比較的安定した経営を保った。大正から昭和に入るころ、第1次大戦後の不況を背景に、ここから片倉製糸が台頭し、京都の郡是製糸と共に2大製糸メーカーとしての地位をようやく確立する。
 明治初期から生糸は日本の主要な輸出品であり、後に羽二重を中心とする絹織物・ハンカチが続いた。しかし羽二重の産地では小規模な独立業者と、賃機を行うやはり小規模な出機屋が混在する状況で、メーカーはやはり零細なままであった。
 大正時代から、最大の得意先アメリカにおける生糸への需要は、人絹の登場によって縮小を始める。人絹が入り込めない市場として残されたのは、絹靴下と、それに使われる高級糸であった。従って、糸の平均品質を向上させることに業界全体の生き残りがかかっていた。これには原料段階からの品質管理が必要だったので、2大製糸メーカーは産地に養蚕組合を作らせて特約関係を結び、技術指導に努めた。養蚕農家にとっても、この関係に加わらないことは輸出の道を絶たれるに等しかったので、メーカーとの特約関係に入る農家が大半であった。
 結局のところ、零細な製糸業は生産性が低かったことではなく、原料の改良に参加できなかったことで、命運を絶たれることになったといえそうである。また、メーカーによる産地との特約関係は、共同で技術革新に対応する必要が生じたとき、初めて生じたことに注意すべきであろう。

合成繊維

 化学繊維の中でまず工業化されたのは、糸屑や製紙用のパルプを糸に固めた「再生繊維」である。特に人絹(レーヨン)には財閥や綿紡績業界の関心が高く、帝人、東レ、クラレといったメーカーが次々に設立された。これらのメーカーは、戦後になって石油などから化学的に合成されたナイロン・ビニロン・ポリエチレンなどの「合成繊維」が登場すると、通産省の手厚い保護と参入制限の下で、それらの供給者としての地位を固めた。
 新素材には加工業者や紡績業者の確保が不可欠である。このため、これらのメーカーは明示的な「系列化の努力」を行った。賃織り先を持っている既存の繊維商社と取引したり、取引業者にパテントの無償供与を行ったりして、技術力のある取引先の確保に努めたのである。
 しかし1965年の不況の後、これら先発企業の取引業者のなかに、後発企業(このころすでに参入規制は緩んでいた)から引き抜かれるものが現れた。先発企業がこれを許したということは、絶えず利益を与え続けながら関係を維持することに、先発企業が耐えられなくなってきたと考えられる。

繊維業界の多段階性

 なぜ製糸メーカーや繊維商社・繊維問屋は加工部門を垂直統合しないのであろうか? 筆者は、ふたつの理由があると推測する。

長期にわたって、織布部門などの加工部門は設備が小規模かまたは手作業の割合が高く、規模の経済性がそれほど働いて来なかった。ただし今日では、大規模で生産性の高いジェットルーム織機などが登場しており、これだけでは説明できない。 
織機は、終戦直後の需要集中期以降、ほぼすべての期間にわたって過剰対策が取られている。特に、1957年に中団法(中小企業団体の組織に関する法律)が制定されて以来、織機増設を規制するための設備登録制が最近まで敷かれてきた。生産能力が慢性的に過剰であった状況では、織機を持つ業者にとって、特定業者の注文だけに応じる関係に入ることは、設備稼働率を下げる要因となる。このため垂直統合は製糸メーカーや商社の利益にならないのである。(中小織物業者はむしろ、大手企業の傘に入って安心したいに違いない)
 家電や自動車の流通でも取り上げたように、過去の一時期に特定の必要があって流通形態が定まることは多い。この場合、後になってみると、なぜ他の形態を取らなかったのか説明が難しくなる。特に、需要が成熟した場合、成長期の流通形態は現状に最も適したものではなくなり、かつ急には転換できない場合がある。

<考えてみよう>

漫画週刊誌は、多数の人々の協力によって作られている。次のような分業が行われたら、どんな不都合が生じるだろうか。

原作者がオーストラリアに移住し、FAXで原稿を作画担当の漫画家に送る。 
スクリーントーン(一定の模様を描いたフィルム)を貼る専業アシスタント企業が現れる。 
連載を持つすべての漫画家のスタジオがひとつのビルに入居し、編集者が自宅で勤務する。 
漫画家を社員として雇う。

第10節 中間財の流通


中間財流通の場合、ふつう消費財にはないような、次のふたつの要素を考えにいれなければならない。

中間財の消費者も最終財の生産者であって、自分の生産計画を持っている。上流と下流の生産計画を調整することが出来れば、無駄な在庫や余分な生産能力を減らすことができる。 
最終製品は中間財を組み合わせて作られるから、中間財で技術進歩があれば最終製品の設計も変えたほうが得になる。中間財の供給者は、事実上、中間財の消費者と最終製品を共同開発することがある。

自動車部品

 自動車部品の取引は、系列取引の代表とされる。トヨタの協豊会、日産の宝会などの部品メーカー団体はメンバーがほとんど固定しており、それぞれ傘下の2次・3次下請け企業を抱えたピラミッド型構造を作っている。
 自動車の生産ラインの動きに合わせて、「かんばん」と呼ばれる部品請求用のプレートを使って最小限必要なだけの部品を持ってこさせる、トヨタのかんばん方式は世界的に有名である。
 ただし、部品メーカーがトヨタの言いなりに無制限・無保証の部品供給をしているわけではない。月次生産計画でトヨタはあらかじめ1ヶ月分の部品の注文量を約束している。トヨタは生産の進み具合に合わせて、1ヶ月分の注文量を1日ごとに割り振ることができるだけである。これらの手続きはトヨタと部品メーカーの基本契約にうたわれている。

 実際には10%までの計画との差異については受け入れるよう、トヨタは取引先に要請している。門田安弘「新トヨタシステム」p.118-119参照。また、計画が注文量の約束に変わる時期については、完成車メーカーによりまちまちである。岡本博公「現代企業の製・販統合」参照。

共同開発・VA

 自動車は4年に1回モデルチェンジされるのが普通だが、部品供給メーカーは早期に絞り込まれ、その車種専用の部品の共同開発に携わっている。1つの部品を1つのメーカーに任せるか、2つのメーカーに作らせて(複社発注)競争させたほうがよいかは難しい問題だが、トヨタは車種がたくさんあるので、1車種の1部品は1社に任せて、いろいろな車種の仕事を協豊会などの各社に割り振り、その成績を見ながら次の車種の部品メーカーを決めている。他のメーカーでも特命発注を行ったり、ある段階で「開発コンペ」と呼ばれる絞り込みを行ったりして、結局1社に絞られることが多い。
 材質を変えたり形を作りやすくしたりして、同じ機能で原価の安い製品を考え出すことをVA(価値分析)という。部品メーカーのVAによって原価が下がると、6ヶ月間は旧価格で部品を取り引きして、原価節約分を部品メーカーに与え、それ以後は部品価格を値下げしてメーカーがもうける、などというVA成果還元ルールが部品メーカーと下流メーカーの間で決まっている。

貸与図部品と承認図部品

 自動車部品には、市販品、貸与図部品、承認図部品の3種類がある。
市販品-自動車部品以外にも使われている、一般的な仕様の部品。有名メーカーが大量生産していることも多い。
貸与図部品-特別注文の部品だが、下流メーカーが図面を引いて部品メーカーに貸し、それに従って部品を作る。部品メーカーは言われたとおりに作ればよいので比較的技術がいらない。
承認図部品-下流メーカーの示す仕様に従って、部品メーカーが設計し、下流メーカーの承認を受ける。仕様に見合う製品を設計する開発能力が必要とされる。
 下流メーカーは過去の納期の遅れや不良品の記録から、部品メーカーをランク付けしている。承認図メーカーは下流メーカーに取っては技術開発のパートナーであるが、貸与図メーカーは「代わりのいる」存在であって、成績の中くらいの貸与図メーカーとは、忙しいときだけ手伝ってもらう、という関係になる。ただしこれは一次下請けレベルの話であって、二次メーカー以下になると承認図部品はほとんどないといわれる。

<考えてみよう>

家電製品の部品流通は、自動車部品の流通とどこが異なっているだろうか。家電製品と自動車の商品特性の違いから予想してみよう。 
下請けメーカーは、最初はどうやって成立したのだろうか。下請けメーカーがすぐ見つかるようなバックグラウンドが存在したのだろうか。

鉄鋼

 鉄鉱石から酸素を取り去って銑鉄を作り、ニッケルなど鉄鋼に強さや錆びにくさを与える成分を加えて鉄鋼を作り、出来た鉄鋼の形を整えて鉄製品にするには、多くの工程と2ヶ月程度の時間がかかる。
 鉄鋼には大きく分けて2種類の需要があり、それに2種類の生産技術と2種類の流通形態が対応している。

需要、生産技術、流通

 鉄鋼(普通鋼)需要の50%前後が、自動車や家電製品と言った製品の材料としての産業用需要であり、残りは建設需要である。
 高炉で作られた銑鉄から鉄鋼をつくる転炉は、いちどに大量の鉄鋼を作らなければならないが、安上がりである。スクラップなどを加熱する電炉は、1日の生産能力は転炉の1/10ほどだが、その分最低生産量が小さい。
 転炉で熱された鉄鋼が冷えないうちに、連続鋳造設備でそのまま鉄板など望みの形に仕上げると、燃料代も安上がりな上に、質の揃った鉄鋼製品が出来る。
 鉄と言うとどれでも同じのように思えるが、産業用需要の鉄は、ほとんど注文主ごとの特別注文と言ってもよいほどに、成分が微妙に違っている。そのかわり下流メーカーの生産計画に従って生産できる。これに対し建設用需要は、工事の進み具合によって急に大量の資材が必要になったりするが、標準的な種類がそれほど多くない。
 産業用需要の鉄鋼は、形式的には鉄鋼商社を通じて取り引きされるが、実際には高炉(転炉)メーカーと消費者(自動車メーカーなど)が互いに連絡を取り合いながら取引量や種類を決めている。これをひもつき取引と呼ぶ。価格は長期間にわたって固定的になる。従来見込み生産はほとんどありえない品種であったが、円高に入ってユーザー(自動車メーカーなど)が納期を引き延ばすかたちで、鉄鋼メーカーの在庫が生じている。

 産業用鉄鋼需要の多様さについて具体的には、岡本博公「現代企業の製・販統合」p.148参照。また鉄鋼商社のリスク負担について同書p.153およびp.166注2参照。
 これに対して、建設需要の鉄鋼は、電炉メーカーが市場動向をにらみながら、そのとき品薄な品種を少しずつ生産している。完全な見込み生産ではないが、最終的な製品の形態を決めないうちに生産にかかることもある。小口で多数の買い手に対応するため、多くの小規模な卸や加工業者を通じて流通し、価格は市況に応じて変化する。
 高炉品は建築需要では高級品であり、高層ビルなど特に信頼性の要求される建築や、施主が特に指定した場合に用いられる。
 鉄鋼の輸入は最終消費数量の8%程度である。多くは半製品の形で輸入されて、日本で建築資材として最終加工されたり、産業用の材料となったりする。

<考えてみよう>

日本の鉄鋼業が今後競争力を維持する側面と、失っていく側面は、それぞれ何だろうか。 
1990年代以降の(建築現場における)人手不足は、鉄鋼の建築需要にどのような影響を与えたであろうか。

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