組織の多目的性

出典: Hnami.net

2008年12月14日 (日) 02:42; Hnami (会話 | 投稿記録) による版
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 私はミクロ経済学の最初の頃の講義で「企業の目的は実際には利潤最大化だけではありませんよね。しかし初級の講義ではそこを単純化して…」といった説明をよくします。たぶん他大学の先生も同様だと思います。社会人の学生さんもうんうんと頷きながら話を聞いておられるのですが、どうも「複数の立場を同時に思い描く」ことが上手でない方が、むしろ世間を知らない昼間コースの大学生よりも多いと感じます。

 実際には企業の中には、様々な利害関係者がいます。従業員、経営者・経営陣、顧客、納入業者、株主・親会社、金融機関、などなど。企業組織内にいる従業員、経営者、株主だけでも利害は一致しませんし、個々の従業員、ときには個々の経営陣でも利害が一致しません。思い描く夢に基づいて人は主張をし、主張にこだわることもあるわけで、そういう意味では夢の違いも利害の違いと変わりません。

 会社は一体である「べきだ」という考え方は、この利害の不一致から人の目を覆ってしまいます。現に表面化していないからと言って不満が潜在していないことにはならないし、肝心なときにそれぞれが自分の利害より組織の利害で動く保証にもならないのです。人を信頼するのは大事ですが、報われない状況や裏切ればボロもうけする状況を放置すれば、いつか誰かが裏切ります。あいつがやるなら俺だって、という連鎖が起こってからあわてても後の祭りです。

 同様に、どこまで行っても見つかる(同一個人でも気が変わり、あるいは矛盾したことを言う)利害不一致のすべてを抱え込んだままでは、現状を記述することすらできません。どこかエイヤッと単純化しないと、何もできません。

 つまり組織の研究がうまくゆくかどうかは「エイヤッと単純化する」区切りのセンスの適切さに多くを負っています。「重要なトピックスである」「いま困っている」だけではその問題に取り組む糸口にはなりません。

 また、こうしたタイプの経済分析には、膨大な蓄積があります。それらの蓄積の「再発見」をしても、皆さんが新規の業績をまとめることはできません。

「一般的に」理論モデルで白黒のつくことは、すでに誰かがやっている、くらいに覚悟しておいた方がよいでしょう。旧来のタイプの大学院生は、若く柔軟な頭脳を持ち、アカデミック・ジョブに就職できなければすべての勉強がムダになるというプレッシャーを日々感じつつ、定職に就かずに多くの時間を研究に費やしています。もし彼らと戦うつもりであれば、職をなげうって、その分野で日本のベストスリーに入る大学の大学院に入れるくらいでないと、年齢や学業中断などのハンディを克服しきれないでしょう。実際、いちどサラリーマンになってから大学院に入り直した超一流の学者は多いのです。

 社会人の皆さんは、「自分の知っていることは知っている」という強みを生かした研究をして頂きたいと思います。自分の知っていることを丁寧に整理し、利害関係者をタイプ分けし、自分の注目する区切りを明確にすることから、それは始まります。

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