大学院修士「ミクロ経済基礎」の講義資料。
重要用語
市場 ストック フロー 財 サービス 効用 経済主体 機会費用 限界概念 最大化行動 合理性(合理的行動)
重要用語
内生変数・外生変数 需要曲線のシフト 供給曲線のシフト 代替財 参入・退出 部分均衡と一般均衡
重要用語
消費者余剰 生産者余剰 社会的余剰 価格メカニズム 抽選 先着順 割り当て 転売
重要用語
予算制約線 所得効果 代替効果 正常財 下級財 ギッフェン財
重要用語
生産関数 費用関数 固定費用 可変費用 平均費用 限界費用 損益分岐点 操業停止点
「……が起こったら、市場では何が起きるか」をいろいろ考えてみる。
重要用語
(輸入制限などによる)ディストーション 既得権益 反射的利益 参入と退出 コンテスタビリティ (垂直的)品質差別化
重要用語
独占価格 死荷重 ベルトラン競争 クールノー競争 品質差別化
パレート効率性(パレート最適) 所得再分配 (租税による)ディストーション 政府の失敗 市場の失敗 自然独占 「独占的地位の濫用」(EU)
講義時点での時事問題をとりあげ、そこにあらわれた市場メカニズムの特徴(良きにつけ悪しきにつけ)について考える。
[10]-[12]の内容はグラフや数式が多いのでWordファイルで配布します。
ミクロ経済学を使って論文を書く上でよくある落とし穴について。
モデルに登場する経済主体は、今の駆け引きの相手と縁を切り、他のパートナーを選ぶ(または積極的な経済活動をやめる)という選択肢があります。例えばいくら人の言うことを聞かないワンマン社長でも、従業員が辞めて他社で一からやり直すことを阻止できません。
逆にある地域の賃金水準が上がり、労働者たちが強気の賃金交渉をすれば、向上を持つ企業は工場そのものを他の地域に移すかもしれません。
例えばある企業の労使交渉を考えるとき、そのモデルの外部にどのような(潜在的な)選択肢があるのか、考えておく必要があります。これを見落とすと、それぞれの経済主体の合理的行動を考えたつもりが、実はモデルをご破損にする方が得だった……ということになります。
成功すると協力とか協調とか呼ばれ、失敗すると共謀と貶められるなどというと洒落すぎていますが、例えば価格を値下げしないカルテルや、それぞれの生産量を互いの合意以上にしないことで間接的に価格を維持する)カルテルは、裏切者の値下げや増産で効果を弱め、時に崩壊します。しかし裏切者に苦痛や損失を与える強制(enforcement)メカニズムを私的に用意することは非常にお金がかかりますし、ずっと維持しておくことも困難です。「みんなが守ればうまくいく」システムを提案することは、「守らない人がいてもどうすることもできない」のであれば、実際の社会にとって何の意味もないかもしれません。
不正や怠慢に対して大きな罰を与える契約(boiling contract = かまゆで契約?)をすれば、不正や怠慢は少なくとも減ると期待できます。しかしそんな契約を認めれば、うっかり雇われてしまった従業員に劣悪な設備な人手不足の責任を押し付けるブラック企業は大喜びです。実際には企業に生じた損害を従業員に負わせることには一定の法的制限がかけられています。
例えばこのほかにも、公的機関に課せられる「法の下の平等」への要求は、行政ができることの幅を狭めている面があります。誰かがこうすべきだという結論を導いたときは、なぜそれが現在実行されていないのか検討してみることをお勧めします。
ナッシュ均衡が複数存在するゲームは珍しくありません(Multiple Equilibria、多重均衡)。無数に存在するゲームすらあります。ということは……「互いにお金を使わない不況均衡」と「互いに大盤振る舞いする好況均衡」があって、政府や中央銀行の政策で好況に行けるんじゃないか? と思いつく人は30年以上前から大勢いて、非常に多くの論文が書かれています。
ところが、それがマクロ経済学の学部向け教科書に載らないのは、なぜか。
うまく一般化ができないのです。特殊なモデルで世界の「生産量」を例えば貨幣量に依存するようにできても、さてそれは現実の何に当たるのか、モデルの外で何かまずいことが起きはしないか……となると、だれもそれが現実の大切な部分を一通りカバーしていると言い切れないのですね。
景気の問題を考えるうえで、困難な問題がもうひとつあります。グローバリゼーションです。
1980年代の円高と各種の輸入自由化まで、多くの軽工業製品が日本の地方都市で生産されてきました。だから「海外製品に市場を奪われた」影響の大きさは首都圏・中京圏とそれ以外では大きく異なっています。つまり海外供給者というプレイヤーの存在を認めなければ、日本に起こっていることは理解できないということです。
日本企業がもうかれば日本の株式市場に資金が入り、日本政府がお金を使えば輸入品が増えて、日本政府に戻ってくる税収がそれだけ減ります。よく考えると日本も欧米市場でさんざん稼いできたわけです。人様の財政赤字に他国が乗っかることが善とか悪とか、もう言っておれません。そういうものです。
しかしそうだとすると、財政(赤字)政策は世界市場に需要を吸われて税収が戻って来ず、損するに決まっている政策ということになりますし、金利をコントロールする政策などマンデル・フレミングモデルの昔から世界市場では無理であるわけで、何もせん方がましという超マネタリスト的な世界観に戻ってしまいます。でも明らかに世界の選挙民も政治家もそう思っていないのですよね。
例えば「実際の」価格と取引量のデータは、需要曲線と供給曲線の交点に過ぎません。このデータだけで需要曲線や供給曲線のどちらかを推定するのは原理的に不可能です。ましてや、まったくデータのない新製品の需要を経済モデルで推定できるわけがありません。需要関数や供給関数を数字で確かめ、数字の力で結論を出すのは、なかなか大変です。
幸運にもそれぞれの経済主体に関するいろいろなデータが手に入るとしましょう。初級教科書でよく使われるコブ=ダグラス型関数や線形関数は、計算しやすい(または、簡単な形の答えが出る)から盛んに使われていますが、それがあらわす消費や生産のありようはかなり異様、というより異常です。例えばコブ=ダグラス型効用関数があらわす消費態度は「各支出項目への出費の比率は所得がいくらであっても変わらない」というもの。所得が1割減ったらタバコも米もギョーザもみんな1割節約。そういう世界で「これごれが起こることが証明できた」といっても、それってどこの世界? ということになってしまいます。
そうした不自然な制約の少ない関数形というのはちゃんと研究されていますが、それをモデルに取り入れて、合理的にそうなるはずの結果を予測するのは、今度は大変な計算になってしまいます。連立方程式モデルは、整理していくと高次方程式になって、代数的な買いがなくなってしまうことが多いのです。もちろん数値計算で「少なくともこれが解だ」という数字の組み合わせが見つかることは多く、統計パッケージを使えば文系の研究者にもなんとかなるのではありますが。
「論文が書きにくい」話から「むしろ数値計算で論文がたくさん書けるんじゃないの?」という話に変わってきました。そうなんです。でもね。「実社会に適用できるような結果」かというと、これがなかなか難しいのです。だって先週やったように「解はいくつあるかわからない」のが経済モデル。たまたま数値計算で求めたひとつの解が、世間で成立している状態を表すかどうかは……わからないんですよね。