失敗と結果

出典: Hnami.net

 2003年2月1日、日本未来科学館で開かれていた二足歩行ロボットコンテスト「robo-one」の予選をちょっと娘と覗いて来ました。

 審査員の前で二足で歩いて見せること、その他いくつかの要求された動作をして見せることが予選通過の最低条件です。ところが「すみません動きません」「一週間前までは動いていたんですがバッテリーを入れ替えたら…」という参加者がけっこういます。審査員のほうも「動かないと言って、次の大会で結構いいところまで行った人もいますから」と平然としたものです。観客も苦笑いをするだけです。

 しかし中にはくるりと一回転して見せたり、規定を上回るパフォーマンスを披露する機体もあります。そんなときはどよめきと賞賛の拍手が惜しみなく送られていました。

 上手に失敗すると言うのは難しいものですし、上手に失敗させるのも難しいものです。次につながる失敗とよく言いますが、次につなぐための工夫と、たまたまつながるための好条件の両方がないと、実際に失敗が生きることはなかなかありません。

 口の悪い人は、アメリカの完備した社会人大学(実際には短大相当が多いのですが)のことを「クールダウンシステム」と呼ぶそうです。私はやれるはずだ、私はチャンスがつかめるはずだ、と思って大学にやってくると、目の前にある課題は自分の手の届かないレベルであったり、自分の興味を引かないものであったりします。高学歴に成り上がっていく過程で、振り落とされる人たちが、自分自身に納得するシステム。誰かが結論を押し付けるのでなく、かといって誰にでも甘い果実が待っているわけではなく、自分自身について自分で判断させるシステム。そのようなニュアンスが「クールダウンシステム」という表現にはこもっているとか。

 学生や職員組合が執行部を批判するとき、まず「理念を示せ」と叫び、理念が示された場合でも示されない場合でも「理念がない」と叫ぶ。これは定石ではないかと思います。そしてまた、「理念がない」と叫んでおけば、たいていの場合それは真実ですから、格好よく聞こえます。世の中のほとんどの人は、前任者のやった通り仕事をしているか、言われた通り仕事をしているか、どちらかなのですから。そのあとに「話し合う場が必要」と叫んでおけば民主的にすら聞こえますから、満点です。しかしその「話し合う場」が実現してしまったら、その批判者は自分の理念も問われることになります。

 なにか特定の方針に従って、特定の目標にを達成するために限りあるものを使ったとき、目標が達成されたかどうかと言う成功・失敗の判断が生まれてきます。目標がなければ、成功・失敗を判断する基準もないのです。

 組織が理念を持つと言うのは、ある目標を共有すると言うことです。俺は不同意だ、では済まない約束を交わすと言うことです。組織に理念が必要であるとすれば、それは上だけが持っていても、下だけが持っていてもいけません。上が思いつけば下に及ぼし、下が思いつけば上に及ぼし、初めて理念となります。上に向かって「理念がない」というのは、両手を静かに合わせて「右の手のひらは鳴っていない!」と叫ぶのに似ています。

 目標を掲げたとき、初めて失敗が定義されます。失敗者を笑うのは、目標を持っていない人や、目標を人に話そうとしない人にとって、簡単なことです。

 そしてたぶん、失敗を認めた人だけが、失敗を生かすことが出来ます。

 走らない者には、転ぶ権利がありません。

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