被災地需要ハンドブック

出典: Hnami.net

2011年5月20日 (金) 15:57; Hnami (会話 | 投稿記録) による版

被災地需要ハンドブック

はじめに

 東日本大震災の被災地に一番足りないのは、どんなモノでもありません。カネです。一番小さな推計値でも15兆円の資産が失われ、職がないまま多くの人々が苦しい日々を過ごしています。そうした人々が日々に生み出す機会損失が損失としてどんどん積み上がっています。日本赤十字社などが5月18日までに集めた義捐金は少なくとも1966億円に達しますが、2ケタ足りません。

 にもかかわらず、ここではモノの話をします。何もかも2ケタ足りないので、被災地ではみんなが必死です。わかっていても何かが足らずにできないこと。知っていても人々の気持ちを逆なでするので言えないこと。ここはそうした現場から離れた場所です。

 この状況で、知の力はちっぽけなものです。学者に時間を取られた南相馬市長が怒るのは当然です。しかし、ないよりあったほうがいい知識は、やはりあります。100円のお金を何に使ったらよいか、100円玉を握りしめて誰かが考えている瞬間はあるはずです。そこにはケンカはありません。気付かなかったことに気づいたり、目の前で起こっていることの理由が分かったりすることで、100円を少しだけ有効に使えるかもしれません。他の人の持っている100円を有効に使う方法を気付かせてあげれば、少しだけケンカが減るかもしれません。

 被災地で人々が何を欲しがるか。それはどこで手に入るか。どんな問題が起こりうるか。代わりのものはないのか。そういったことをここに描いて行こうと思います。

 そしてすべては歴史になります。残酷なことでもありますし、救いでもあります。新しい生活の中で、覚えていられることはほんのわずかです。歴史を思い返すために使える時間もわずかです。このコンテンツは未来に向けたタイムカプセルですが、あまり大きくない方がいいと思っています。その中で、後世の人が考えるためのヒント、いやそれよりも、願わくば、気付くためのヒントがここにあればいいなと思います。

 このコンテンツが経済学の知見と言えるのか、私には自信がありません。どっちかというと、既存の学問のどれにもぴったり当てはまらないものだと思います。しかし誰かがこれをまとめた方がいいし、被災地で自分自身の立場を持って活動している人たちよりも、そこから離れた場所にいる、私のような学者がやった方がいいだろうと思います。

食料品

 避難生活者の食生活について、日本栄養士会がいろいろな資料を用意しています

 避難所などで配られる食糧は、災害救助法に基づいて都道府県が中心になって調達するものです。炊き出しや寄付と言った善意の申し出によって、法律で決められた以上の食べ物が提供されることもありますが、国と都道府県の予算で調達されるものは1日当たり1010円という予算が決まっています。その範囲内で、まずおにぎりなどの非常食が配られ、炊き出し(現地での調理)から典型的には弁当配達に置き換わって食材の多様性が確保され、流通機構が回復するに従って被災者が自分で好きなものを足して行くという経路が想定できます。

 東日本大震災では、広範囲に物流の回復が遅れたことに加え、電気・水道・ガスなどの途絶で飲食店・一般商店ともに営業が長期間不可能になり、品目の少ない食糧配給しか提供できない時期が、多くの地域で長く続きました。

(この項続く)


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