大学で勉強するA

学術文献は象牙の塔のレンガ

  • 学術文献(一次文献、原著論文ともいいます)のひとつひとつは、オリジナルな発見を含んでいます。それらは重ならないように互いに気をつけつつ、互いに参照(自分の論文と似た論文の差を説明すること)しあって、一冊の巨大な本を作っていきます。
    • 互いに関連しあう文献群を文脈(コンテクスト)といいます。コンテクストを作り出す萌芽となった論文のことをSeminal Paperといって、とくに評価されます。

確実に知っていることを増やしていく

  • 学問の力は、「確かめられたことと、確かめられていないことを区別する」ところにあります。そのためには、相互にチェックしあうことが重要です。学術文献は本来、そのようなものです。実際にはなかなかそうならず、一方的な物言いがまかり通っていることは認めなければなりませんが。→経済学と経済

学問世界の外の人にはムダ?

  • こうした冷静な議論は、大きな組織の向こうのほうにいる人や、組織の外にいる人と話し、協力関係を結んでいくときに重要です。
    • 最初から政治的な敵味方を分けて、味方とばかり話すときには、こうした議論の仕方は役に立たないでしょう。
  • 学問的な議論では、ひとつの言葉をひとつの意味にだけ使います。特別な意味をこめるときには、説明してから使います。この訓練が徹底していると、他人が曖昧な言葉の使い方をしたとき、すぐに気づきます。もちろん相手も、あなたの曖昧な言葉遣いに気づくのですが。

学術文献が読めないと学術文献が書けない

  • 上に説明したような理由で、他の学術文献を「参照」できないと、学術文献は非常に書きづらいのです。
    • これは、他の研究と似た研究ばかりが多くなる原因にもなりますが、相互チェックをあっさりあきらめてしまうわけにもいきません。
  • 経済・経営系の社会人大学院が全国に広がり、次いで専門職大学院が登場してくる裏には、「社会人学生のほとんどが学術文献についてこられない」というのっぴきならない現実がありました。いや別に全国的陰謀があったわけではないのですが、制度を作る側も運用する大学側もそのことを意識しつつ色々議論をして、修士論文の要らない専門職大学院が登場してきたようです。
  • 埼玉大学経済学部はそこのところで意地を張って、旧来のルールで社会人を教育しています。だって、お金のかかる人事とか、美麗な教室とかで私立大学と競争しても、勝てるわけありませんからね。それにそういう大学はたくさんあるんだし。
  • 印象論で思ったことを言い散らす大人はたくさんいます。皆さんはどういう大人になりたいですか。

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Last-modified: 2008-12-11 (木) 22:19:32 (5616d)